「アロマンティック・アセクシュアル」とはなんじゃらほい?NHKよるドラ『恋せぬふたり』

基本情報

2022年 NHKよるドラ 恋せぬふたり ★★★
脚本:吉田恵里香 撮影:佐々木達之介ほか 音楽:阿部海太郎 演出:野口雄大、押田友太、土井祥平

感想

■一挙再放送で観ました。NHKのよるドラ枠なので、制作陣は若手です。演出は、野口雄大、押田友太、土井祥平の三人だけど、撮影にはNHKを代表するキャメラマンの佐々木達之介が参加していたりするので、若手をベテランスタッフが支えるという体制だったらしい。脚本は『虎に翼』で一躍時の人になった吉田恵里香、音楽:阿部海太郎という座組。

吉田恵里香は『虎に翼』は時事的に注目を集めたけど、ドラマとしては疑問が多くて、法律畑での社会派テーマをたくさん詰め込むのはいいけど、一つ一つの問題だけでも一作作れるくらいの内容なので、問題が掘り下げられないし、「劇」にならない。なっていない。終盤は「箇条書き」とも揶揄される状態だったらしい。観てないけど、まあ見当がつく。途中で1週間分だけ見たけど「あらすじドラマ」だなあという印象だったから。ドラマの「劇」の部分や見せ場が、どうもふつうの作劇とは違う。というか、芝居の作りが弱い。

■一方、向田邦子賞を受賞した本作は、ちゃんとドラマになっている。「アロマンティック・アセクシュアル」(現在のところ、精神疾患精神障害ではない)という聞いたことも無いテーマ設定で面食らうけど、昔からマイノリティーとして存在はしただろうし、そもそも「恋愛」概念は比較的若い概念だし、全階級の人民に許されたものでもないので、昔は恋愛なんてなくても結婚していたし、性交渉は苦痛でしかないけど、子どもを持っていた。そんなこんなで世代を紡いできた。もちろんその背景には家父長制とか地縁血縁の因習とか強力な抑圧システムが存在していたので、全肯定はできない。そもそもフロイトだって、人間の性指向は多形倒錯が基本だと言っているくらいだから、人間て、なんでもありではあるのだ。

■恋愛感情や性交渉のないカップルが家族(仮)として生活実験を始めるけど、周囲の「ふつう」の人には理解できない。けど、徐々に納得してゆく(というか諦めて受け入れてゆく)。それで、子どもはどうするのか?という問題も当然浮上するけど、そこはあまりこだわりはないようだ。

■もちろん、家族の形は自民党の提唱するような狂信的な画一的なものではなく、いろんな形がありうるだろう。個人の幸せの形も人それぞれ。確かに理念としてはそうだ。けど、親の立場としては、なんとか少し努力して「ふつう」の人のようになれないのか?病院で治療すれば治るのでは?なんて考えることになる。多分、大昔なら実際やってたかもしれない。それに、これまで歴史的に中年夫婦なんて、ほとんど「アロマンティック・アセクシュアル」じゃない?という素朴な印象があるよね。子どものできた中年夫婦なんて互いに触らないし、セックスもないし。夫婦生活の実態はほとんど「アロマンティック・アセクシュアル」ですが、なにか?と言ってしまっては、身も蓋もないけど。

■「ふつう」に生きようとし、生き続けることの難しさを大人は知っているから、「ふつう」に生きることですらそれだけ困難なのに、あえてマイノリティの立場に身を置かないで、もっと日の当たるところに自分の居場所を作ればいいのに。と考える。大人ならそう考えるし、子どもにそうあってほしいと願う。少し我慢すれば「ふつう」の人のようにできるんじゃないの?そのあたりの世代間の葛藤が浅いのは尺の制約でもあるだろうけど、例えば山田太一ならもっとこってり身にしみるリアルな台詞と葛藤を描いただろう。そういうのがドラマだよなあと感じる世代だ。

■ある意味、非常に間口の狭いドラマだけど、岸井ゆきのが単純にかわゆいのと、高橋一生の巧演で求心力を失わない。まあ、こんな役がハマるのは高橋一生とか中村倫也くらいでしょう。二人の間に割って入る「ふつう」の男役の濱正悟がここでは非常に儲け役で、ほぼ初見だけど、軽薄さの奥にサイコな感じを感じさせるのが強烈に印象的。なんとルパンブルーの人(観てないけど)ですよ。この人がいたおけげで、ドラマの体を保った気がする。

■前述したように人間は多形倒錯の存在なので、LGBTQ、LGBTQIA+その他、いろんな性向の人がいるので、物事を単純化して考えたい、いろいろ考える脳的資源が枯渇したり、単に考えるのがめんどくさい人のなかには、自民党の掲げる空想的な家族観などに惹かれるかもしれなくて、為政者の立場で考えれば、政策や制度設計を単純化できるメリットがあるのも確かだけど、ここまでくれば、当面はどんどん細分化するんだろうね。そしてまたどこかで揺り戻しが起こって、概念が整理されるのではないかという気はする。ある意味、今は自己申告で新しい概念やカテゴリーを作れてしまうので、どうしても行き過ぎが生じますよね。何しろ、人間は多形倒錯なので、原理的には無限のカテゴリーが誕生することになるからね。(まあ、フロイトのいう多形倒錯は幼児期の一時的な通過点の話だけど)

■とまあ、いろいろややこしいことを考えざるを得ないドラマなので、ドラマとして純粋に楽しいのか?というところはどうしてもモヤモヤが残るのだ。作劇の綾や役者の芝居やその見せ場がどうとか、そんなところを楽しみたいのになあ。


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