フジの月9ドラマ『海のはじまり』で何が起こっているのか

■フジの月9ドラマ『海のはじまり』というドラマは、原作のないオリジナルドラマで、ということはかなりの意欲作です。現在のテレビドラマはほとんどがマンガや小説のドラマ化なので、オリジナルの企画開発は異色といっていいくらいです。しかも、オリジナルドラマのほとんどは刑事ものや推理モノなので、ストレートドラマは、いまや極めて稀な貴重な存在です。

■まあ、それくらいの意欲作です。もともと7月期のドラマは、夏休みで視聴率が取れない捨て枠なので、局側もあまりやる気もないのですが、ときどき局の締付けが弱いのを見計らって、極めて意欲的なドラマが誕生することがあります。坂元裕二の傑作『それでも、生きてゆく』はそうして生まれました。(月9枠ではないけど)
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■おそらく『それでも、生きてゆく』を意識しながら『海のはじまり』は企画されたはずです。お話は全く違うものの、わざわざ大竹しのぶを起用したところに、その意義が現れています。坂元裕二のあの傑作に迫ってやるという意欲が、製作陣にあったはずです。なにしろ、撮影機材にも最高級クラスのデジタルビデオカメラをレンタルしています。
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■ところが、ドラマを観てみても、どうもこれは調子がおかしいです。主演の目黒蓮の様子がおかしいのです。主演=座長なのに、全く精気がなく、台詞の日本語がカタコトで、韓流スターが演じているのかと勘違いするほど。ホントに、そう思ったんですよ。それほど不自然。と思ったら、体調不良の報道が出ました。ドラマは体調不良のドキュメントでもあったようです。
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■基本的に脚本も演出も、いわゆる芝居っぽい強い演技ではなく、リアルでナチュラルな日常会話でドラマを醸し出すという手法で、それがかなり強烈に徹底されています。それによって、共演の有村架純ですら、存在感が薄く、異様に華がない状態になってますから、相当に独特の演出スタイルだし、特異なドラマの組み方だと思います。ふつうはもっと粒だった見せ場を用意して、役者が引き立つように設計するはずです。そんなドラマじゃないよというのが本作のスタイルの強烈な主張になっています。が、その演出方針に主演者の力量というか素養がついて行けていけてないという、そういう問題だろうと思います。
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■そのことが際立つのは、脇役の演技巧者と比較されてしまうからです。本来なら、脇に実力派を揃えれば、主演は大根でもドラマは成立するものなのですが、本作は狙いが微妙なので、バランスが完全に崩れています。古川琴音とか池松壮亮とか大竹しのぶといった芸達者はちゃんと演出の狙い通りに台詞の力を抜いてトーンを落としながら、的確な演技が提供できるのですが、主演者は明らかにその訓練を受けていないでしょう。力を抜いた芝居をすると、単に元気のない具合の悪そうな人になってしまう。演技のレベルが違いすぎて、脇役たちに完全に食われていしまっています。これは明らかに、製作陣の誤算だと思います。ふつう映画やドラマは配役で8~9割が決まってしまうもので、その責任は製作や監督にある。座長が脇に食われてしまっては、その計算がミスったとしか言えないわけです。主演者の力量云々よりも、主役が引き立たないドラマ設計を行った製作陣に問題があります。

■主演者の体調不良をカバーするために急遽今回放映された特別編「恋のおしまい」は池端壮亮と古川琴音がほとんど二人で演じて、おそらくこのタッチが、もともと狙った作風だと納得しました。この二人なら、ちゃんとドラマが成立しているし、脚本、演出の狙ったタッチも分かる(好き好きはあるけど)し、求心力が生じているのです。作風として、もうすこし日常会話の中でクスクス笑わせる仕掛けが欲しいところではありますが、まあ、やりたいことは分かるし、伝わる。

■なにしろドラマはまだ中盤なので、今後の展開次第で取り返す計算があるのかもしれませんが、相当に無理がある戦略であり座組であったようです。一般的にはやる気の”空回り”と呼ぶわけですが、まだ結論づけるには早計かもね。今後の巻き返しに期待しましょう。といいながら、今更観るモチベーションも沸かないなあ。。。

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