「愛」てなんだっけ?『散歩する侵略者』(2周目)

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■アマプラに入ったので再見したけど、これはなかなか秀作じゃなかろうか。ほとんどプンプン怒ってばかりの長澤まさみが非常に可愛くて好演なのは、偶然の産物なのか。普通にその辺に住んでいそうなアラサー女子、でもよく見るとかなり美人という、ありそうでなさそうな、でもいそうな役柄を、ナチュラルな衣装とメイクでさらっと演じて、実にリアルな実在感。黒沢清の求めていたものがそうだったのだろうけど、長澤まさみの女優力を再認識した。変な漫画原作映画なんて出て、キャラ化してる場合じゃないよね。(アレのことですよ!)

長谷川博己のパートは、宇宙人と擬似親子の関係になって、最終的に俺に入っていいよと身体を差し出すセクシーな(?)「愛」の姿を描く。最終的に人類を裏切って宇宙人の侵略計画に加担するあたりも良い。かっこいい。ハセヒロのマッチョじゃないへなへなした肢体も、ひたすらかっこ悪くて、逆に良い。ハセヒロも伸び伸びとやりたい放題だ。

■対する松田龍平長澤まさみの夫婦は、離婚寸前のところから、宇宙人が憑依して人格がリセットされた夫との愛を取り戻してゆく妻の様子を描き、最終的にラブホテルで頭の中一杯の「愛」の概念を宇宙人が奪うさまを描く。これは明らかに宇宙的セックスの表現(『さよならジュピター』?)で、だからラブホテルなんだね。おまけに窓の外には暗雲がうずまき、閃光が走る情景が(見るからに合成ぽく)広がり、あきらかに『首都消失』を意識しているはず。黒沢清は、絶対観ているに違いない、あの映画。

■中盤の教会で牧師に愛てなんですか?と問答する場面が重要で、本来ならあそこは役所広司とか萩原聖人が出るところだね。実際は東出昌大なので、誰?と感じるところだけど、これも再見すると好演だった。いろいろ説明するけど、結局のところ「愛」とは奪うものじゃなくて、与えるものだというのが、人類の宗教的な共通認識なので、映画も最終的に宇宙人がそのことを理解する。

■原作の戯曲では、「愛」の概念を知った宇宙人は自我崩壊の危機を感じつつ終わるのだけど、映画はそのあとを描く。そして、脚本の構成としては、筋が通って成功している。自分の中に「愛」が満ち溢れていた妻は、「愛」の概念を奪われて、最初は何も変化を感じないけど、実は自分の中身をすべて吸い取られていて、一部の概念を奪われた被害者とは様態が異なる。自分の中に溢れかえった「愛」を奪われると、すべてを失った、空っぽの人格になってしまうからだ。それがラストの長澤まさみで、そこに自分の奪った「愛」を、なんとかふたたび注ぎ込もうとする夫(宇宙人!)の姿を対比させる。もちろん「愛」なんて概念は映像には映らないから、ミカンが小道具として登場する。そう、加藤泰の『緋牡丹博徒 お竜参上』ですね。

■というわけで、原作戯曲を読んだうえで再見するととても腑に落ちたので、黒沢清のお得意な夫婦映画の秀作だし、ニヤニヤしながら楽しめる終末SF映画としても、なかなかの逸品だと思いますよ。

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