■『修禅寺物語』は父の芸術至上主義と娘の立身出世主義がともに成就するというお話だけど、奇っ怪至極なお話。でもクライマックスで異様に盛り上がるから、なんとなく納得してしまう。父と娘の狂気を描く心理的な怪奇劇ともいえる。
■『番町皿屋敷』はもちろん怪談ではなく、若い旗本播磨と腰元お菊の悲恋物語になっていて、小説版の方がより深く描かれるけど、比較すると新歌舞伎版はダイジェスト的な構成だ。映画『手討』は小説版を原作にしたようで、戯曲版より上出来に感じる。とにかく、若さゆえの浅はかさがテーマになっていて、女ゆえの浅はかさとか、女を斬れば刀が穢れるとか、最初は女性差別が過ぎると感じたけど、実は、冒頭の伯母と対比されていて、お菊が浅はかに描かれるのは、若さゆえとわかる。お菊も年を経れば、若党たちの喧嘩くらい軽々仲裁してみせる如才ない伯母のような貫禄を身につけることができることを示している。恋人の心を試したお菊も愚かなら、武士のプライドからその女心の弱さを許せない播磨も、また若すぎたのだ。でも、戯曲ではそこまで明確な描き方にはなっていないので、正直あまりできは良くないと感じるあ。田中徳三の『手討』は上出来だと思うよ。
■『鳥辺山心中』も、近松の心中ものなどに比べると随分簡単だし、お染の気持ちの動きがあまりに単純なので、あまり良いとは思えない。近松が18世紀初頭に描いた女たちの人間像のほうが、よほどリアルだし、鮮烈な自我を持っていたから、そう考えると、随分歌舞伎の女性像も退化したものだなあと感じる。それが明治時代ということだろうか。第二幕で、四条河原の暗闇の向こうから鍔迫り合いが聞こえてきて、徐々に姿をあらわすという場面展開は、映画みたいで上出来だと思ったけど。