一番怖いのは、人の心に魔が差す瞬間!恐怖映画の小品傑作『鬼火』

基本情報

鬼火 ★★★★
1956 スタンダードサイズ(モノクロ) 46分
原作:吉屋信子 脚本:菊島隆三 撮影:山田一夫 照明:大沼正喜 美術:中古智 音楽:伊福部昭 監督:千葉泰樹

感想

■その昔、伊丹グリーン劇場のオールナイトでかかっていて驚嘆した、怖い怖いサスペンス映画の掌編。原作の短編小説も有名ですね。ために作ったタイプのサスペンス映画ではなく、人間心理の綾と心に一瞬去来する魔が惻々と恐ろしい、よく出来た中編映画。短編小説や名作戯曲を原作として、質実剛健な良作を送り出そうとした「東宝ダイヤモンドシリーズ」の第一弾で、添え物の中編映画だけど、スタッフも製作規模も実に豪華。

■ちょうどいま時分の、残暑のきびしい季節でした。俺っちの商売はガスの集金人でしてね、新しい地区の担当になったとこだったんですが、小汚い下町の難しい土地柄で、なかなか取り立てははかどりませんわ。仲間からあそこは止めておけと言われた廃屋みたいな一軒家を尋ねたんですがね、へなへなの着物を着て、帯も締めてないみすぼらしい女が出てきたんですよ。でもよく見れば、これがなかなかの色っぽい上玉で、病気の旦那の看病するにのに、薬を煎じるからガスだけは止めないでくれと懇願されて、ついつい魔が差したっていうやつですかね、下心がむくむくと湧いてきて、奥さん娘っ子じゃないんだから、わかってるだろ、なんて誘ってみたんですよ。いや、ホントに気の迷いってやつで、今夜下宿に来なよってね。思うより先に口からついて出てたってもんで。。。

■さすがにこれ以上お話には触れられないけど、原作通りに綺麗に展開する構成の強健さが魅力。この構成がくずれなければ、大体誰が書いても傑作になる。とはいえ、原作小説はガス集金人の男だけを描いている超短編なので、脚本ではかなりのエピソードを追加している。加東大介の演じる独身男の性欲を刺激するエピソードの配置も定石通りに見事だが、脚本の工夫なのだ。元はそれなりの身分だったと思わせる津島恵子の痩せやつれた風情も実にリアルで、特に夏着物のよれっぷりと汗と湿気で薄汚れた感じも効果絶大。セリフで説明しなくても、姿形で察しが付くのが映画の効果。

■こうした短い映画では心理描写がどこまで描ききれるかが要点になるが、津島恵子宮口精二の夫婦の互いの心情のすれ違いを、帯のやり取りとか、荒れ果てた庭で鳴く虫の声を介して描くあたりも見事な描写。しかも、このあたりの夫婦のやり取りのやるせないエピソードは原作にはなくて、菊島隆三の見事な道具立てによる創作。その後に何があったのかは当然省略されるわけだが、その省略された部分にお話のテーマが託されるという心理ミステリーでもある。そのように誘導するた脚本構成も、菊島隆三の考えたことなのだ。ちなみに、原作でも脚本でもその後がさらっと描かれるが、映画ではカットされている。その判断で立派な恐怖映画になった。原作小説は名編だけど、脚本も演出も傑作。音楽が伊福部昭というのも、絶妙で、ラストシーンの音楽効果は絶大。できれば大スクリーンで観たい!

■え、あっしは今どこにいるのかって?野暮な旦那だなあ、お察しくださいな。そっちは、そろそろお盆ですってね。迎え火、送り火、ああ、またあのガスの火を思い出しちまった。青白い、ちょうど鬼火みたいな。。。

参考

わたしは、そのむかし原作短編を『現代怪奇小説集』(中島河太郎紀田順一郎編)で読みました。今はこんな本も出てますね。

東宝はこうした心理的に怖い現代劇の小品も得意とした。大映東映はどうしても怪談になるし、日活はこのジャンルは苦手、というか観客層が求めていないので、事実上東宝の独壇場だった。(新東宝は別格)
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