これがマキノ節のダークサイドだ!戦後時代劇の代表的傑作『仇討崇禅寺馬場』

基本情報

仇討崇禅寺馬場 ★★★★
1957 スコープサイズ 92分 
原案:山上伊太郎 脚本:依田義賢 撮影:伊藤武夫 照明:田辺謙一 美術:桂長四郎 音楽:鈴木静一 監督:マキノ雅弘

感想

■御前試合で遅れを取った大和郡山藩士で剣術指南役の生田伝八郎(大友柳太朗)は、遺恨から遠城宗左衛門を闇討ちしてしまう。蓄電して大阪に落ち延び、沖仲仕の角万に寄宿すると、その一人娘 お勝(千原しのぶ)に見込まれるが、いずれ遺族に討たれる覚悟を決めている伝八郎は距離を置こうとする。ついに遠城治左衛門、安藤喜八郎の兄弟と接触した伝八郎は崇禅寺で堂々と立ち合うが、彼の身を案じたお勝は角万の沖仲仕を総動員してふたりをなぶり殺しにしてしまう。心ならずも生きながらえた伝八郎は次第に正気を失ってゆく。さらに仇討ちの二人を惨殺した角万には大阪の町衆からの非難が殺到し。。。

■実際にあった、遠城治左衛門、安藤喜八郎の兄弟が、末弟である宗左衛門の仇である生田伝八郎を討とうとして、返り討ちにあった事件は、戦前から幾度も映画化されているらしいが、当然のことながら今は観ることができない。しかし、一般観客にもお馴染みの仇討ち物語であったらしい。

■史実では伝八郎が門弟の助太刀を頼んで、大勢で兄弟を返り討ちにした20日後に、「死出の山たどり行みる今宵かな」の辞世の句とともに切腹死したという。その自害には心理的な謎が残ることから、その顛末の奇怪さが民衆の興味を引いたものだろうと思われ、その心理的欠損を埋めるべく、時代劇作家は想像力を発動することになる。まさに、時代劇映画には格好の素材だ。

■この映画で肝になるのは、伝八郎の謎の返り討ち事件には、女の情念が絡んでいたとするところで、沖仲仕の親分の娘で、しとやかな外見に似合わずやくざの気風を秘めた情念の女、お勝。この女の伝八郎に対する、ある意味身勝手で盲目的な愛情が、取り返しのつかない凄惨な悲劇を招き寄せるという運命的なドラマになっていて、メロドラマとしても傑作。伝八郎は心ならずも生き残って、自責の念で発狂する。角万は敵討ちの兄弟をなぶり殺しにした罪で告発され、取り潰しの危機に瀕することになる。中盤の兄弟なぶり殺しは完全にお勝の愚かさが招いた事故、人災なのだ。

■一方で、角万の大将(進藤英太郎!)は店と娘を守るために、手のひらを返したようにすべての罪を伝八郎ひとりに転嫁しようと試みる。このあたりの組織と個人の利益相反のメカニズム、保身心理のえげつなさもこの映画のリアリティを支えている。もっとも、橋本忍のようにそこをギリギリと血がにじむほど掘り下げるまではいかない。でも、大将の心変わりのあたりの演出と演技はさすがに見せる。

■兄弟が返り討ちにあるまでが前半で、後半はほとんど怪談映画のような陰々滅々な展開となる。伝八郎は完全に狂っていて、最後には崇禅寺馬場で幻の兄弟と斬り結ぶ。高笑いをあげながら見えない敵との敵討ちを完遂しようとする伝八郎と、その幻の敵討ちのために、すべての悲劇の元凶である愚かなお勝が単筒を手に、あの人に近寄るな!と叫ぶ。

■これまで時代劇映画の主要作品はそこそこ観てきたつもりだけれど、ここまで凄絶な悲劇はそうそうあるものではない。凄いものを観てしまった。それがシンプルなこの映画の感想だし、それ以上の賛辞はないだろうと思う。誰も想像しえなかった時代劇の傑作。

参考

陰々滅々としたマキノ節もまた凄いのだ。いつものように脇役がおちゃらけながら、主人公を宿命的な泥沼に落とし込んでゆく。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
戦後時代劇の代表作と言えば、これ『反逆児』ですね。これも伊藤大輔の異常傑作。
maricozy.hatenablog.jp
橋本忍にしか書けないドラマがあった。時代劇があった。『仇討』はその代表作だ。幕藩体制官僚主義を完璧に描ききった誰にも真似できない異常傑作。
maricozy.hatenablog.jp

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