まるで大映テレビなのだ!文芸純愛路線の残念作『落葉の炎』

基本情報

落葉の炎 ★★
1965 スコープサイズ(モノクロ) 92分 @アマプラ
企画:浅田健三 原作:黒岩重吾 脚本:星川清司山中耕人 撮影:間宮義雄 照明:吉田一夫 美術:木村威夫 音楽:伊部晴美 監督:前田満州

あらすじ

■クラブで踊り狂い、外人相手に食って掛かる若い娘(和泉雅子)の姿に惹かれた大学生(山内賢)は、彼女の謎めいた言動に恋の炎を感じるが、彼女の周囲には謎の男(小高雄二)が付きまとい。。。

感想

■俊英・前田満州夫の監督第三作目で、最後の映画になった本作。日活ではたった三作しか映画を撮れなかったけど、非常に才能のある監督なのだ。しかし、本作は明らかに失敗作で、でもその原因は監督ではなく、企画、開発にあると感じる。

■そもそも、原作は黒岩重吾の『西成山王ホテル』に収録された同名短編小説で、つまり、大阪西成に漂着した下層階級の庶民の人生を描いた作品。映画では鎌倉出身のボンボンと横浜の暗黒街出身の娘になっているが、原作では芦屋のボンボンと神戸の✕✕✕の娘というリアルな設定。絶対原作通りに脚本を作ったほうが良いに決まってるよね!原作小説は黒岩重吾が実際に西成の貧困街で見聞きした実感をベースに創作されたもので、実録ではないけどリアル路線なので、本来なら大塚和あたりが企画開発するのが筋というもの。

■それを何故か星川清司に振っているのが謎。個人的には星川清司の脚本は感心するものが少ない。しかも、人生の哀感を描いた(に違いない)原作を大幅に改変して、無理やり純愛路線にはめ込む。第三幕の北海道の修道院あたりは完全に浮いている。横浜のスラムあたりも実感がなく、前田監督と間宮キャメラマンはかなり創意を凝らしてはいるが、リアリティが出ない。ここに貧困や退廃の実感がなくては、筋運びだけに見えてしまう。

■さらに、いろんな場面に浦山桐郎の『非行少女』のイメージを踏襲しているのも謎で、企画開発が安易すぎると感じる。山内賢はいいとしても藤竜也が大学生には、全く見えない。当時の大学生の表現としても全くリアリティが感じられない。

■娘につきまとう黒眼鏡の男というのも、実に空想的で残念な人物造形で、しかも小高雄二が演じるので全く説得力がない。基本的に演技には難がある人だけど、この時期はまだ脇役の悪役演技も開発途上で、後の日活ニューアクション路線ほどの荒み方にはならず、唐突に戦時中のエピソードを語りだしても、一向に胸に響かない。だめだこりゃ。。。ラストシーンの取って付けたような悲劇も、何の感興も呼ばない。

■では全くの駄作かといえば、魅力的なシーンも少なくないのが、前田監督の資質で、特に山内賢和泉雅子の出逢いのあたりの演出はさすがに見せるし、間宮キャマラマンの機動的なキャメラワークが冴える。なんといっても、土俗的なジャズ(?)に乗って、和泉雅子が狂ったように下品で原始的なダンスを披露する場面がユニークで、当時の日本映画の常として、ダンス表現は洗練されていないのだが、異様な迫力とセンスがあって、単純には理解し難いヒロインの人間像を強烈に焼き付ける。このあたりは、さすがに監督の意欲が見て取れる。基本的に日活映画はデュビビエとかクレールなどの古典的なフランス映画を志向するのだが、明らかにヌーベルバーグ志向ですね。ホントに第一幕は悪くないと思いますけどね。

■二人が自身の出自にまつわる秘密を語りだすあたりから、リアリズム志向がヌーベルバーグ志向と乖離しだして、歯車が狂い始める。小高雄二のご都合主義の立ち回り方とか、横浜のスラム街での事故とか、脚本構成のずさんさから、第三幕は単純なメロドラマに堕していて、文芸大作らしく木村威夫の美術はかなり力が入っているものの、胸を打つところがない。最後までリアリズム志向で押すべきだったし、その意味で第三幕は空想的にすぎる。

参考



前田満州夫は実にいい映画を撮っていたのだが。。。
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これが原作小説なのだ。黒岩重吾の初期作品は読んだことがなく、西成モノで注目されたことも最近まで知らなかった。絶対面白いよね。

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この映画は実は兄弟映画なのだ。『やくざ絶唱
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