満州国が崩壊するとき、女たちの受難の旅が始まる『流転の王妃』

基本情報

流転の王妃 ★★★
1960 スコープサイズ 102分 @DVD

感想

■昔一度見ているのだが、テレビでのカット版だったため、完全版を観たいと思っていたところ、ちゃんとDVDが出ていることを知り、しかも格安になっていたので、買ってしまいました。そんなに何度も観る映画ではないけれどね。

■映画封切り時には、原作、脚本、監督が女性ですよというのが惹句で、女性観客に訴求することが企画意図だったようだ。とはいえ、全盛期の和田夏十の脚本なので、単純なメロドラマにはならない。

■まず気になったのは、どこが大幅にカットされたのかということ。予想通り、竜子が満州に嫁入りするまでの国内シーンがザックリと切られている。短縮版はあきらかに国内場面が軽快すぎるので、そりゃそうだと納得。軍部の策謀の場面も一部カットされていたと思うけど、完全にカットされたのは、皇室で皇太后三宅邦子だった!)から言葉と白雲木の種をいただく場面。これは見覚えがなかった。三宅邦子が敢えてゆっくりと棒読みで、リアルに演じるこの場面は演出的にはかなり凝っていて、違う意味で見応えがある。

■女性監督だから?かどうかは知らないが、生け花をグラフィカルなアクセントにした様式的な画面構成がここだけ際立っていて、ひょっとして市川崑あたりが手伝ったのではと疑わせる。企画は藤井浩明だし、脚本は和田夏十だし、ありそうな気もするのだが。例えば同じ監督の『お吟さま』を観ても、こんなにグラフィカルな画作りはしていないからね。(注:実は『乳房よ永遠なれ』を観ると、田中絹代の画作りの凝り方は独特のものとわかる)

■しかも驚くのが、部屋の奥に広がる庭園の情景がすべて書き割りということ。これをキャメラ移動で捉えるのだが、部分的に役者の薄い影が出るので書割とわかるが、空気感や陰影はかなりリアルで、映像効果としてはかなり高度なもの。これが東映なら、もっと絵画よりだろう。

■しかもアバンタイトルからの流れが素晴らしく、娘の天城山の心中事件で憔悴して泣き出しそうな表情で天を仰ぐ京マチ子から木下忠司のテーマ曲がドーンと入ってタイトルにつなぐあたりの構成は完璧。この場面だけで泣けてくる。まだ若い竜子が軍の行進に道を譲り、軍靴の向こうに浩の姿を捉えながら歩く姿を対比して、象徴的に描くタイトルバックも秀逸。

笠智衆が大きくクレジットされながら登場しないのは、竜子の娘時代の場面がカットされたことを示す。竜子の画の先生役らしいので、行軍と遭遇する前の場面で登場する予定だったかもしれない。天城山心中からタイトルに繋ぎたいという演出意図で切られた可能性がある。

■改めて見直しても、終盤の風呂敷の畳み方が性急で、娘の心中事件も随分軽く感じられ、夫婦で日中友好の架け橋になりましょうと手紙で語り合って終わるのは、確かに公式見解としてはそう言っておくしかないのだが、型通りで感動を呼ぶところがない。まあ、なにしろ当時は当事者が健在だし、撮影現場にも見学に来るわけで、脚本家もそれ以上のアレンジの仕方がなかっただろう。

満州国皇帝の溥文もかなり大きな役で、溥哲の妻である竜子と対比されるのがその皇后。皇后は以前から阿片吸引癖で精神的に病んでいたところに、帝国崩壊で浩たちと流浪の旅を続ける中で廃屋に捨て置かれて悲惨な最後を遂げる。実際のところ浩はすでに廃人状態の元皇后の下の世話までしながら流転の旅を共にしたという。若手の金田一敦子が演じているが、かなりの大役で、外見は目を引く貴人ながら内実が病んでいるという、満州国崩壊の悲劇の、その悲惨の象徴として描かれる。いっぽう竜子は通化事件も経験しながら生きながらえて幸運にも日本へ帰国することができたが、一人娘を意外な形で喪うことになる。

■その運命の不可解さと残酷さが、女の宿命として描かれるが、深い感動にまでは至らないのがもったいない。もう少し大胆なアレンジを許せばよかったと思うよ。少なくとも心中した娘のエピソードは終盤でもう少し拾っておくべきだよなあ。完全にオミットされているのはあまりにも心理的に不自然だもの。

参考

▶その昔、KBS京都中島貞夫の解説付きで観たときの記事です。大胆なカット版でしたね。この記事と一緒に読んでもらうといいと思います。
maricozy.hatenablog.jp
▶映画監督としての田中絹代の再評価が始まっています。実はかなりの実力派であったことがわかります。
maricozy.hatenablog.jp

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