【最終更新 2021/6/15】
田中邦衛がついに亡くなりました。寂しいですね。でも大往生といっていいと思います。
とにかく映画やテレビに出まくっていたので全貌を把握できる人はほぼいないでしょうが、その中でもあえてフジテレビで1966年に放映された『若者たち』を取り上げたいと思います。
父母のない佐藤家の五兄妹の物語で、基本的にディスカッションドラマです。太郎:田中邦衛、次郎:橋本功、三郎:山本圭、オリエ:佐藤オリエ、末吉:松山省二の兄弟が直面する様々な社会問題や生活上の問題について、激しく論争するのが見せ場で、当時の若者の心を鷲掴みにしたドラマですが、今見ても実にグッと来るものがあります。
当時のビデオドラマは、ステージ撮影部分がビデオ撮りですが、ビデオカメラがまだ巨大だったため屋外に持ち出せず、屋外ロケは16ミリのフィルム撮影です。それをテレシネして、無理やり一本に編集するわけです。なので、ビデオ撮りのシーンは画面の四方が丸く縁取られており、フィルム撮影の場面はちゃんと真四角なスタンダードサイズになっています。
そして、この新しいドラマの基本フォーマットを作ったのは脚本の山内久と演出の森川時久です。でもこのコンビによる本数はそれほど多くなくて、早坂暁とか立原りゅう(山内久の奥さんで、野田高梧の娘!)とか山田正弘(同時期に「ウルトラQ」「ウルトラマン」も書いていて大活躍)なども多く書いてますね。
もちろん、最初の10話くらいまでは昔観ていますが、当時の感想を記録していないので、いきなり終盤から始まります。それはそれで面白い趣向かと。
#29 やさしい娘
脚本:立原りゅう 演出:森川時久
ゲストが加藤剛、江守徹、栗原小巻、東野孝彦、前田信明(前田吟)、寺田路恵、吉田日出子、大滝秀治、高木均、金内喜久夫、樋浦勉、村井国夫、地井武男という、大盤振る舞いな回。ゲスト主演は前田吟ですよ。
小巻は山本圭といい感じなのに、製靴工場の足の悪い職人(前田吟好演)に何故か惹かれてゆき、山本圭は手痛く振られてしまう。
前田吟は、たしかに前田吟に似ているけど樋浦勉かもしれないなあという感じで、ホントにかなり雰囲気が変わっている。東野孝彦はガリガリで濃い髭をはやしているし、村井国夫とか地井武男は前田吟の悪い友人役(かなあ)で、ほぼ顔は写っていない。
いつのまにか佐藤オリエは加藤剛とカップルで、松山省二は吉田日出子とカップルになっている。
クライマックスで、職人の元に去ろうとする小巻を引き留めようとして、いつもの理詰めな物言いで説得しようとする山本圭の台詞が、追い詰められた小心者の心根を理屈で包んだ名セリフで、圧巻なので採録しておこう。
「甘いと思うなボクは。ただでさえ生きにくい世の中なんだから、できるだけ荷物を軽くしておかないと自分の方から潰れてしまいますからね。」
「むしろ傲慢だと思いますよボクは。もしあなた一人の力で人を救えるなんて思ってるとしたら。
大きく世の中が変わって全体が良くならない限り、ひとりひとりの不幸を完全に治すなんてことはできっこないんですからね。
個人の力で、弱いものと弱いものが助け合って生きていくなんて間違ってるし、歪んでると思いますよ、ボクは。」
なんでもっと合理的な判断ができないのかと詰問するが、小巻から「おじいちゃんみたい」と完膚なきまでに拒絶される。頭のいいひとはみんなそんなところに閉じこもってしまう、そんな人は多くいると説教される始末だ。若者代表のつもりだったのに、これ以上の屈辱はない。
三郎は、
「好きだな。ますます好きになっちゃった。・・・頑張って。」
と引きつったような口調で、一方的に言い捨てて逃げるように去るしかない。理論派・三郎の理論が完璧に論破された決定的瞬間だ。こんな台詞は山本圭しか口にできない名演で、名シーンだった。
#30 橋よ、いつの日か…
脚本:菅孝行 演出:北田親友
脚本の菅孝行は、もともと東映京都で助監督として働いていた人ですが、組合の書記長だったため、スタジオのリストラで子会社に送られたようです。主にCMやテレビ映画を制作する子会社(東映京都製作所)なので、ことによると『仮面の忍者赤影』の演出部にも参加していたかもしれません。その可能性は高いでしょうね。その後東京に移ってからはテレビ映画『バンパイア』の助監督なんかもやってるし、東映製作のテレビ時代劇の脚本も書いてますね。
でも、むしろその後、天皇制批判の新左翼系の論客として大変有名になった人です。さらに、新劇に対する厳しい批判の論客だったらしく、前衛的な演劇活動にも影響を与えた劇作家でもあるらしいですよ。
近著ではこんな著作があります。ご興味のあるかたはどうぞ。
でも、本作を観ると、そうした思想的な背景よりも、時代劇の東映京都の助監督出身という出自のほうが大きいと感じますね。単純に誰が見ても分かりやすい脚本です。浮田左武郎と原田芳雄が親子で、警官とゲバ学生という設定は、いかにも当時のドラマですね。東野孝彦はセミレギュラー、授業料値上げ反対闘争の自治会室にゲスト出演の岸田森がいます。深い溝を互いに認識しながらも、いつか両者の間に橋がかかる日が来ることを願いながら終わるので、決して前衛的な作風ではなく、実に実直と感じます。若いとはいえ原田芳雄はすっかり完成していて、誰がどうみても原田芳雄。顔が濃い。
#31 陽が昇るとき
脚本:大西信行 演出:戸崎春雄
次郎が偶然知り合った労働者カップル。男が結核で寝付いたとき、途方に暮れる娘を助けて、二人を支えていこうと心に決める。男は高野長英で、娘は茅島成美が演じる。
茅島成美はあまり知らなかったけど、後年テレビドラマに大量に出演してますね。でも、正直はじめて名前を認識しました。てっきり俳優座などの新劇系の人かと思いきや、東映のニューフェース出身。本作ではノーメイク、髪はバサバサで熱演して、非常にリアルで良いです。
上記の二本に比べると、ちゃんと決着して完結しているのでその意味でもできが良いです。ラストは本当に沈みつつある夕陽を追っての撮影で、リアルに日が陰ってゆくのでスリリングです。テーマソングがかかるラストシーンも定石通りながら気持ちいですね。若者たちが助け合いながら逆境に立ち向かってゆく姿が素朴に感動的で、グッときます。
#32 爪の跡の記憶
脚本/大野靖子 演出/北田親友
■三郎は、単位をくれるように請願にいった大学教授の娘から、母親の様子がおかしい、監視されているようだと相談される。母親は精神を病んでいるようにも見えるが、、、
というお話で、佐藤一家が満州からの引揚者であること(知らんかった!)を踏まえて、戦争の爪痕を描く異色作。基本的に若者たちが直面する社会問題を描いてきたドラマだが、ここでは、その父母の世代が経験した過酷な現実が語られる傑作エピソード。
■病んだ母親を演じては日本一の大塚道子が登場し、心を病む原因となった終戦後の満州からの引き揚げで起こった事の顛末が、夫役の久米明の口から語られる。実の娘は河の流れにのまれ、命からがら二人だけは助かったこと。同じ引揚者の男からちょっとの間、子供を預かってくれといわれて、そのまま
男は帰ってこなかったこと。だから三郎と知り合った娘は夫婦の実の娘ではなく、誰の子とも知れぬ娘であったこと。。。
■戦後21年、まだまだ戦争経験者は大人たちの多数派であって、それぞれに人に言えぬ経験や辛い思いを抱えながら生きていた時代だったことを今に伝える力作で、大野靖子という女流脚本家の豪腕ぶりを認識した作品。実は、このひと実在しないのではないか、既存の男性作家の変名かと思っていたのだが、本当に女性の脚本家なのでした。大塚道子も久米明も脂の乗り切った時期なので、好演ですよ。
#33 さよなら
脚本/大野靖子 演出/戸崎春雄
■太郎は工事現場の在日労働者のコウさんから日本人女性との結婚の仲人を頼まれ、三郎は印刷工場で木崎という女性と知り合うが、彼女はコウさんのもとから家出して、日本人として生活する妹だった。差別の中で育った彼女は、本名で祖国統一の運動を続ける友人と再開し、はじめは激しく反発するものの、次第に共感してゆく。彼女は三郎に、祖国に帰って祖国の土を踏むところから全てが始まるのだと思うと告げる。木崎さんが好きだった。でも今のコウさんはもっと好きだ。と三郎は祝福する。
■たまたま放映当時起こった「平新艇事件」(興味のある方はググってみてください。さすがにわたしも詳しくは知らない。)のとばっちりを受け、本放送ではフジテレビ上層部の判断でお蔵入りしてしまうし、番組自体も問題視されて打ち切りになってしまったいわくつきの幻のエピソードだが、後にDVD化された際に、何事もなかったようにするっと収録された。
■このあたりの屈託の無さがいかにもフジテレビで、政治的なあるいは外部人権団体からの圧力で放送を取りやめたわけではなく、自分自身の判断でやめとこうと判断しただけなので、復活させるにしても誰かにお伺いを立てる筋合いもなく、自分自身の判断で可能というわけ。円谷プロのウルトラセブン「遊星より愛をこめて」や怪奇大作戦「狂鬼人間」や東宝の『ノストラダムスの大予言』とはワケが違うのだ。
■おかげで、1966年当時の在日朝鮮人差別や、そのときの望ましいと思われたドラマ的解決の今日的意義やその妥当性を再検証することができる。ただ面倒くさいからと言って封印してしまうと、そういう歴史的な、理知的な、合理的な検証ができないので、のちの時代に貴重な教訓が汲み取れなくなってしまうのだ。それは表現者として後の時代に対する責任を放棄しているに等しい。と、業界に一切関わりのない一般人として、他人事ゆえに、まっさらな正論を述べておこう。
■在日の幼馴染と再会して激しく議論する夕方の河原の場面は、どんどん太陽が沈んでいき、シーンの途中でほぼ日没を迎える。こうした無理矢理のロケーションが本作は多くて、撮影時間が少なかったことは確実。でも、無理やりライトを当てて一気に撮りきろうとする熱に、演者がヒートアップする。役者のボルテージが上がるのが手にとるようにわかる。だから、ドキュメンタリーフィルムのようだ。
日本人のふりをして日本人でないあなたは、祖国喪失の幽霊だわ。
とか
学校で教わったことなんてみんな嘘だわ。
自由って何?日本人ってことだわ。
平和って何?日本人ってことだわ。
民主主義って何?日本人同士仲良くしようってことじゃない!
と河原で激しく議論していると、私服警官が何気なく寄ってきて、外国人登録証を提示するように静かに迫る場面もリアルで良い。警官があくまで丁寧で、法律の決まりだからねと静かなのがかえって怖い。
■そして、案外惚れっぽい三郎は、また振られてしまう。でも、その表情は晴れやかだ。まだそんな時代だった。
参考
映画バージョンはこちら。三作とも見応えがあり、オリジナルのテレビドラマの熱気をそのまま再現している。なにしろ、映像設計の充実度はテレビドラマと比較にならない。実際は、テレビドラマ版のフィルム撮影部分も意外と上出来で、画調は荒いものの、見ごたえがあるのですが。
maricozy.hatenablog.jp
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