進撃の巨人 ATTACK ON TITAN ☆

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN
2015 スコープサイズ 98分
イオンシネマ京都桂川
原作■諫山創 脚本■渡辺雄介町山智浩
撮影■江原祥二 照明■杉本崇
美術■清水剛 音楽■鷺巣詩郎
特撮監督■尾上克郎、VFXスーパーバイザー■佐藤敦紀、ツジノミナミ 特殊造形プロデューサー■西村喜廣
監督■樋口真嗣

■原作もアニメも観てませんし、なんかグロそうで興味なかったのですが、樋口真嗣の新作なのでやっぱり観に行くわけですよ。特撮監督の尾上克郎がやけにフィーチャーされているのも物珍しくてね。しかし、これはあまりに酷すぎて、正直観た事を後悔するレベルの代物。ただひたすら気持ち悪く生理的に不愉快な映画で、ある意味作者はそれを狙って作っているので、製作意図、演出意図は果たされたわけでもあるだろうが、一体何を面白がればいいのか、全く理解不能だった。これが大衆娯楽として流通するというのが素直な驚きだった。時代は変わってしまったのだなあ。

■まあ、前編ということでお話については触れにくいが、女優陣は桜庭さん、武田さん、水崎さんたちはほぼ見分けがつかず、それぞれに持ち味が生かされたとは思えないし、石原さとみに到っては無駄使いの好例。彼女は何故か映画ではジャンル映画にセットされてしまうのだが、勿体無い。彼女は頑張って演じているし、実際際立っているのだが。

■立体起動装置?とかいう特殊機械についてもどういう理屈で出来ているのか説明もないし、活躍場面もナイトシーンなので暗くてよく見えないし、アクションのカタルシスは全く無い。何しろ不気味な巨人を殺しても、あれは怪物ではないので、カタルシスが成立しないのだ。巨人は恐怖ではなく、気持ち悪さを追及して描かれており、作者の悪意が顕著に出ている。それが観ていてキツイのだ。どう見ても巨人は我々自身の醜い鏡像であって、それを仕留めても何のカタルシスも生まれない。では巨人が人間たちをガリガリ食う場面でカタルシスがあるのかといえば、それもまた醜い自画像に嫌悪するだけで、昇華は生じない。特撮アクションで燃えればいいのかと思えば、クライマックスで登場する例のアレには唖然とするばかりで、アクションの見せ方も我々の分身である醜い巨人がグチャグチャに粉砕されるわけで、楽しくも嬉しくもない。また、そのアクション演出にしても、軍艦島でのロケが妙に閉鎖的な空間を生んでおり、特撮アクションは、スペクトルマンのモグネチュードンの回の団地の格闘を思い出す始末。

■終盤になるに連れて背景の合成カットが増えるのだが、これも生理的に嫌なパターンで、最近のハリウッド映画でも多いが、空間的な奥行きの無い狭苦しくて息苦しいルックになってしまう。これは完全に個人的な好悪だが、息苦しくてかなわない。

■撮影と照明は京都太秦チームで、さすがに実力派なのでルックは重厚だが、ナイトシーンが暗すぎるきらいがある。ドラマとしてはポイントを絞った照明は効果的で見事なのだが、アクション場面は単純に暗くて見えなくてストレスがたまる。

西村喜廣の参加した他のグロテスク映画は基本的にアクション映画の骨格がしっかりとあって、ちゃんとカタルシスが得られるようになっているのだが、この映画はひたすら生理的に気持ち悪いだけの映画になってしまった。それを娯楽として享受する時代になってしまったのだなあと、つくづく嘆息するだけだ。

参考

ホントに正直に言いますけど、観ないほうがいいですよ。忘れてあげてください。。。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp

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