『時代劇は死なず!―京都太秦の「職人」たち』

■ほんとに死にそうですから、時代劇。太秦は大丈夫か?というか、何とか持ちこたえてくれ。
■という気持ちを込めて読んだこの本、意外に知らないことが多く、面白かった。大映の部分は『天才 勝新太郎』との重複が多いのだが、東映篇は、とにかく映画を作るしか生き残る道は無いという覚悟をよく伝えて読ませる。というか、東映魂を端的に伝えている。粗製濫造でもいいから、とにかく早く、安く、面白く作って薄利多売を目指すというのが社是なので、特に若い映画ファンにそこんところよく飲み込んでから映画を批判してほしいと切に願うよ。あなたが観ているのは、ただの映画じゃなく、東映映画なんだよ、と。
東映京都撮影所でテレビ映画を制作するにしても、東映テレビプロ、東映太秦映像(東映京都制作所)、東映本体という3種類の受け皿があり、東映テレビプロは旧世代の映画人のリストラ先、東映太秦映像は組合員のリストラ先という成り立ちの違いがあるというのも、初めて知った。”首切りなき合理化”というのが東映の得意技らしいが、東映の不思議さを知るには組合運動を知る必要があるようだ。
東映太秦映画村のできる前には、高岩淡が太秦の撮影所を売り払って、滋賀の山中に移転する計画まで練っていたらしい。「男たちの大和」の時にも京都撮影所の命運を賭けると言っていたはずで、この撮影所は何度も首の皮一枚で生き延びてきたらしい。特に近年は時代劇の制作拠点が関東に移ってしまったので、大打撃を受けているのだが、リニアモーターカーが開通すれば、タレントの移動も飛躍的に楽になって、太秦の浮揚が期待できるかもしれないね。

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