THIS IS ENGLAND ★★★

THIS IS ENGLAND
2009 ヴィスタサイズ 98分
京都シネマ

This Is England
■1983年のイギリス、サッチャー政権下のフォークランド紛争で父親を亡くした少年は学校で虐められ、スキンヘッドの青年たちの仲間になって可愛がられるが、刑務所帰りの男がやってきて人種差別主義的オルグを始めると、すっかり感化されてしまい・・・
■脚本、監督のシェーン・メドウスが自分の少年時代の記憶をベースに作り上げた映画で、年上の人間達との交流の中で少年が変化してゆくさまを描くという趣旨だが、これも正直どう愉しむべきなのかがよく分からない。多分、当時の時代を経験したイギリス人が観れば、身につまされる映画なのかもしれないが、多分、この時代や人間の背後を読み込むことができることが要求されているのだろう。その意味で、ケン・ローチの映画は親切なつくりだと思う。
■観ていて何よりも気になって仕方ないのは、主人公の母親とか少年が最初に仲間に迎え入れられるグループのメンバーといった人々が、いったい何をしてどう生計を立てているのかが描かれないことだ。少年自体も最初に学校に行っている様子が描かれるが、その後は学校に通っていないように見える。母親は息子がスキンヘッドにされた時には、青年たちのグループに怒鳴り込んでくるが、その後は少年の変化を知っているのか知らないのかもよく分からない。こうしたところは作劇上の肝だと思うのだが、作劇のテクニック的には褒められた映画ではない。ケン・ローチの映画が必ず職業を含めて人間を描くのに比べると、登場人物たちがどこにどの程度の経済的背景を持っているのかが全く描かれないので、観ていていらいらする。
■そのことは中盤以降をさらう右翼青年についても同様で、刑務所を出たてなので、働きもせずパキスタン人に対する嫌がらせ(差別落書とか少年達に絡むとか・・・あまりに低能すぎる活動なのだが)を続けているのも仕方ないかと思うが、クライマックスではラリッて自滅するという、トコトンつらない人間として描かれているのだが、それが劇的な機能をどう果たしているのかが分からない。この人物を通過して、主人公は何をどう掴み取ったのか、というか、何か成長する糧になるような人間だったのか、単なる反面教師に過ぎなかったのか、どうもこの映画に登場する人物は全てが劇的に中途半端なのだ。それがシェーン・メドウスの演出意図なのかもしれないが、観ていると欲求不満が溜まって仕方ない。ケン・リーチの映画の作劇がいかに映画的に正統であるかを思い知った次第だ。スメルと呼ばれるちょっと頭の弱そうな年上の娘との初体験(といっても子供のことですから)のエピソードは楽しいのになあ。
■ちなみに、何故か今回はプロジェクター上映。撮影自体はコダックのフィルム撮影なので、プリントを焼く予算が無かったということか。

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