THE DARK KNIGHT
2008 スコープサイズ 152分
MOVIX京都(SC7)
■どこがそんなに傑作なのかと疑いながら、先日のセミナーで原田徹も薦めていたことだし、と観にいったわけだが、これは確かに重厚な傑作。152分が全く長くない。ここまで来ると、バットマンというヒーローものの枠組みを借りていることの意味が逆に希薄になる気がするのだが、立派なヒーロー論、正義論になっている。ヒーローもののドラマツルギーではなく、骨太な犯罪ドラマである。
■ヒース・レジャーの生理的な不快感を惹起するサイコ演技は、脚本がよくできているおかげで純粋な”悪”を具現しえているし、アーロン・エッカート演じる地方検事の転落のドラマは、彼の清潔感あるキャラクターのおかげで大成功している。この二人とバットマンの三角関係が描かれ、二人の新キャラクターのドラマを深堀してゆくために152分のランニングタイムは確かに必要なのだ。
■とにかく圧巻なのは終盤1時間あまりの部分で、ヒーロー廃業して、高潔な地方検事に街の正義を委ねたいと考えるバットマンの希望が打ち砕かれてゆく悲劇が力強く描かれ、溜めに溜めておいてラストに少年とヒーローの後姿をカットバックして見せられると、涙腺が崩壊せざるをえない。ヒーローものというよりも、人心の荒廃した、恐怖と不安が支配するリアルな社会を舞台とした犯罪アクションとして構築されたドラマが、正統派ヒーロー活劇、いや正統派アウトロー活劇として完結する様に異様な感動を覚える。自警市民たるバットマンは本当のヒーローではありえず、真のヒーロー(光の騎士)が登場するまでの、汚れ役”闇の監視者”に過ぎないのだと覚悟する、その悲壮な自覚に打たれる。一見、ヒース・レジャーのジョーカーに食われたように見えるバットマンが、最後の最後にせり上がって収斂する作劇は、見事なものだ。次作で完結するのかどうかは知らないが、このあとどこまで思索を深められるか興味深々だ。
■アクション演出はハリウッド水準の細切れ編集のおかげで、アクション監督の努力も、俳優の鍛錬も全く意味を失っている。日本のヒーロー活劇のような胸のすくカッコ良さは皆無で、体を張ったアクション映画の醍醐味は全く無い。バットマンのアクションをかっこよく見せようという姿勢がほとんど無く、そのためにバットマンの存在感が希薄になっているのだ。
■監督がイギリス人で、撮影もパインウッドスタジオなので、VFXもロンドンのダブル・ネガティブが担当。見せ方としては地味な部類だが、特にバットモビールから分離するバイクのアクションは秀逸。香港ロケもあり、エディソン・チャンがチョイ役で顔を出す。