未映画化シナリオ「東京裁判」

 東宝8・15シリーズで、1970年の堀川弘通監督の異色作「激動の昭和史 軍閥」の次に製作準備が進められた「東京裁判」は、大ベテラン八住利雄が脚本を書き、監督は小林正樹が起用される予定だった。ところが、どう考えても外人俳優を多数そろえる必要があるし、物語自体も軍事裁判の模様をドキュメンタルなタッチで描く必要があり、製作費が嵩む割にお話としては地味にならざるをえないので、東宝のオールスター大作としては今ひとつ映えない企画であった。おまけに、こうした野心的な大作を製作する余力は、1970年前後の東宝には残されておらず、敢え無く企画は頓挫、準備されたシナリオは「シナリオ」誌に掲載された。田中友幸藤本真澄の企画とは思われないので、当時の東宝の比較的若手のプロデューサーがどさくさ紛れで企画開発したものと思われる。監督予定だった小林正樹は余程入れ込んでいたらしく、後に膨大な記録フィルムをもとに、長編記録映画として1983年に「東京裁判」を完成させた。

 さて、問題のシナリオ「東京裁判」だが、どうも焦点が定まらず、広田弘毅とその家族の、城山三郎が「落日燃ゆ」でも描いた戦後の動静を一応、心棒とはしているが、いかにも東宝の大作らしく、東京裁判オールスター状態で、日本の思惑と戦勝国による一方的な断罪に対する反論、アメリカの戦後戦略、ソ連の広田に対する遺恨、そして、やがて来るべき日本の再軍備に向けて、朝鮮半島で反共を旨とするアメリカの謀略活動に身を投じる旧陸軍の石原莞爾の教え子たち、といった群像劇が展開する。

 しかも、東京裁判の裁判劇としては、史実に忠実に戦勝国と敗戦国の主張が生々しく展開されるため、膨大な台詞が飛び交う台詞劇ともなっており、とてもすんなりと映画化可能はシナリオとは思えない。新東宝の「大東亜戦争と国際裁判」も相当なディスカッションドラマだったが、完全にそれを上回っている。もちろん伊藤俊也の「プライド・運命の瞬間」など物の数ではない。しかも、ドラマとしてのカタルシスは、確実に存在しない。小林正樹はやたらと硬派な記録映画調の劇映画を狙っていたようで、”だからどないせぇちゅうねん!”と突っ込みたくなる煮え切らなさがあるし、逆に歴史上の重要人物たちに対するシニカルな細部の描写の冷たさにぞっとするところもある。

 八住利雄はもともと著名なロシア文学者だったはずだが、戦後は転向*1したらしく、本作も基本的にソ連は執念深い悪役として描かれている。共産主義というよりも、スターリニズムに対する批判ということだろうか。同時にアメリカの戦後処理の仕方には、日本人の素朴な心情としての憤りが明瞭に描きこまれており、民族派という雰囲気も帯びている。

 考えてみると、大阪出身で、新劇活動に関与し、東宝の前身のPCLに入社するという八住利雄の経歴は、田中友幸や馬渕薫のそれによく似ているので驚くのだが、東宝映画の社風というか、一見能天気に見える作風には、こうした大阪人の資質(東宝自体が大阪資本だし)や、戦前左翼的な挫折や転向の経験を踏まえた世界観が確実に持ち込まれているはずなのに、今だにそのあたりが具体的に明かされていないことに気づく。
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*1:特に共産主義者というわけではなかったのかもしれない。

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