テレビ東京ドラマスペシャル「復讐するは我にあり」

 テレビ東京系の特別ドラマ「復讐するは我にあり」を観た。脚本・西岡琢也、撮影監督・加藤雄大、監督・猪崎宣昭。ユニオン映画の制作だ。

 恥ずかしながら今村昌平の映画版は未見(テレビ放送で部分的に観た程度)なのだが、映画版では描かれなかった最期の3日間を中心としたドラマ化だったようだ。もともとは田中登が監督予定だったらしく、実現していれば「丑三つの村」のコンビが復活していたのだが、急逝は残念なことだった。

 連続殺人犯榎津(柳葉敏郎)が、死刑囚の再審請求運動を行っている教誨師大地康雄)に目をつけて、活動資金を奪う目的で弁護士を騙って家に上がり込む。末娘(山口愛)が目ざとく指名手配犯と気づくものの、家族は信じようとせず・・・というヒッチコックの「疑惑の影」をなぞったサスペンス風の展開となる前半部分も案外いいが、榎津の生い立ちが徐々に明かされて、漁師になりたかった少年が、親に裏切られ、教会の神父にも裏切られて人間不信に陥り、神に代わってあらゆる人間に対する復讐を目論む邪悪な存在になってゆくあたりの犯罪者に対する思い入れの深さは、さすがに「TATTOOあり」「丑三つの村」といった犯罪実録映画を犯罪者に寄り添った青春映画にしたててしまった西岡琢也の面目躍如といったところで、見ごたえがある。

 宗教弾圧を生き延びた五島列島キリスト教徒の出身でありながら、神に裏切られて悪魔になり、それでも信仰の片鱗にすがる気持ちを心の底には持ち続けた(かもしれない)榎津という人間像を掘り下げた姿勢は、近年のテレビドラマでは貴重な、重厚なものだ。

 また、正月の休み期間という設定も絶妙で、ドラマに豊かな陰影をもたらしているし、天才子役山口愛が好演する少女の視点から稀代の犯罪者の人間像を浮かび上がらせることに成功している。今回のドラマ化は、”子供の視点”の導入で、怪物的人間の発生の根源に自然に遡ることができるようになったのだ。このあたりは今村昌平では考えられない視角であり、大ベテランでありながらなぜか青春の香を喪うことのない西岡琢也の持ち味だろう。

 柳葉敏郎は持ち前の口元の気持ち悪さを生かして、理知的で粘着質の犯罪者の怪物性を表しているが、なんといっても出色なのは末娘役の山口愛だ。年齢的に辛うじて人間と神の領域の中間に生きている少女の感覚の無邪気さが榎津の人間性の深奥を感知してしまう。そんな難役をベテラン俳優顔負けの説得力で演じ切っている。

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