武士の一分 ★★★

武士の一分
2006 ヴィスタサイズ 121分
TOHOシネマズ岡南 
原作■藤沢周平 脚本■山田洋次平松恵美子山本一郎
撮影■長沼六男 照明■中須岳士
美術■出川三男 音楽■冨田 勲 CG合成■千葉英樹
監督■山田洋次


 毒見役の下級武士(木村拓哉)が、貝の毒に中って失明する。妻(檀れい)は親戚の進言に従い、重役の島田( 坂東三津五郎)に殿にとりなしてくれるよう依頼するが・・・

 貝毒による失明には、城内の陰謀が絡んで、後半の復讐に展開するのかと思いきや、今回は勝劇的な見せ場は最小限に絞込み、もっぱら夫婦愛のドラマにテーマが凝集されていることに驚いた。山田洋次の時代劇3部作中でも、異色の小さな映画である。しかも、その小さな物語を、日本映画最高クラスの技術スタッフがもてるノウハウの全てを投入して描き出す、実に贅沢な映画である。

 驚くのは、映画のほとんどの場面が展開される居宅の内部と、庭先を中心とした舞台装置が、すべて東宝スタジオ内のセットで再現されている点で、特に、庭先の表現は所謂”野づら”と呼ばれる、ステージ撮影でリアルに表現することがもっとも困難とされる太陽光線の再現をテーマとして、奇跡的な完成度を示している。この撮影、美術、照明のチームワークは技術的に完璧と呼んでもいいだろう。しかも、季節の移り変わりにつれ、庭先の植え込み、光線の角度、色彩に変化をつけ、庭先で盲目の剣を修行する木村拓哉の場面など、ロケセットと見紛うような撮影を見せるのだ。これは京都の撮影所でもなかなか成功しない技術的テーマなのだが、本作で長沼六男は名キャメラマンと呼ぶに相応しい成果を達成した。もちろん、相米慎二と組んでいた昔から名キャメラマンだったのだが、宮川一夫、牧浦地志、森田富士郎といった時代劇の名キャメラマンと完全に肩を並べてしまった。文句無しに素晴らしい仕事である。

 一方、劇的にはあまりにも小さなお話であるため、2時間は少々長すぎる印象があり、このくらいのテーマ設定であれば、むしろ60分程度の掌編が相応しいような気がする。不遇な運命に翻弄される若い夫婦の愛情の流れを実に丁寧に演出したところは決して悪くは無いのだが、ラストの切り上げ方なども、もう少しキリっと引き締めてほしい気がする。

 木村拓哉は案外よく頑張っているが、どうしても彼の独特の演技のニュアンスが臭みとして残ってしまい、素直に時代劇の役になりきっているわけではない。一方、檀れいは色のついていない筋の良い素材を使って、山田洋次が自由に演技指導したものだろう。ただ、これも物語の孕む性的なニュアンスが十分に打ち出されないのは、山田洋次の押しの弱さではないか。そこが弱いと主人公の狂おしい懊悩が浮かび上がってこないのだ。

© 1998-2024 まり☆こうじ