CHILDREN OF MEN
2006 ヴィスタサイズ 109分
TOHOシネマズ二条(SC7)
西暦2027年、すでに18年間も子供が誕生していない地球では暴力と荒廃が拡まり、唯一かろうじて国家を存続している英国は不法移民対策に悩まされていた。エネルギー省の官僚セオ(クライブ・オーウェン)は、彼の元妻ジュリアン(ジュリアン・ムーア)率いる反政府組織“FISH”に拉致される。ある少女を“ヒューマン・プロジェクト”という組織に引き渡すために協力をもとめられ、最初は拒否するが、否応無く巻き込まれることに・・・
いかにもベタなタイトルのせいで、陳腐なSFアクション映画と誤解されそうだが、実はSF映画というよりも近未来を舞台としたアクション映画あるいは戦争映画と呼ぶのが相応しい、極めて硬派な佳作である。極めて大雑把に言ってしまえば、反戦映画というカテゴリーにも入るだろう。
子供が誕生しなくなった近未来の世界は、ハイテク世界というよりも、希望を失った世界が荒廃し、廃墟と化してゆく過程と捉えられ、テロ活動と対テロ戦争が蔓延する戦火の巷として描き出される。しかし、それは近未来の架空の世界というよりは、現在の地球上の各所に実在する戦場のリアルな再現として演出されている。監督の演出意図は明らかだろう。
監督のアルフォンソ・キュアロンといえば秀作「大いなる遺産」が印象深いのだが、同じ撮影監督のエマニュエル・ルベツキと組んで、スピルバーグが「プライベート・ライアン」で開発して以降すっかり映画表現を塗り替えてしまった臨場感演出に力を込めており、「父親たちの星条旗」と同様に戦場に投げ込まれたようなリアルな戦場の空気を描き出している。特に、本作では力感溢れる長廻しが基調として採用されており、エマニュエル・ルベツキのキャメラワークとイギリスロケの独特の荒廃感と空気の湿気た冷たさが匂い立つような、ひとつの世界観を構築している。その崩れ落ちる寸前の日常世界の描写は、近年のVFXSF映画のなかでも極めて異色を放って美しく、2時間といわず、ずっと浸っていたい衝動に駆られるほどだ。特に、前半の転回点となる襲撃を車内のカメラから捉えた長廻しのカットなど息詰まる傑出した場面だ。「父親たちの星条旗」のトム・スターンの撮影も素晴らしいが、本作ではイギリスロケが素晴らしい美的な貢献をしていることもあって、個人的には本年の撮影賞を進呈したい出来栄えだ。
原作(未読)の持つ構図かもしれないが、ヒューマン・プロジェクトという理想化されたコミュニティの設定とか、元反政府活動の活動家(元)夫婦とか、活動に傷つき森に隠遁する老夫婦といった設定には、60年代後半の学生運動時代の再現という雰囲気が濃厚で、監督のアルフォンソ・キュアロン自身はそんな年代ではないはずなのに、妙に新左翼的な心情がこもっているのはいったい何なのだろうか。そもそも、オールイギリスロケの映画なのに、この監督はメキシコ人だしな!
それにしても、主演のクライブ・オーウェンの所在無げな風情は絶品だし、現役活動家のジュアリンな・ムーアの説得力もカッコ良さも絶品。いかにもヒッピー崩れといった格好のマイケル・ケインも完璧なアクション映画の脇役として見事な死に様を見せてくれる。このあたりはアクション映画として高純度な結晶を析出して、見事としかいいようがない。
これから観る方は、暗い世界観のなかで、テロと戦火の巷を彷徨い歩くクライブ・オーウェンの足元に着目した演出の妙味にも注目してほしい。彼の足元にまとわりつくのは、湿気であり、ガラス片であり、そして飼い犬であり、子猫である。彼をこの世界に生きるものとしてその時々に意識させる契機は、常に彼の足元から訪れるのだ。そして、廃墟と化す寸前の市街を彷徨うのは、人間だけではなく、羊であり鹿といった動物たちであり、農場に飼われる牛であり、いかにも近未来的な中央官庁の上空に舞うのは巨大な豚のオブジェだ。(これはピンク・フロイドのアルバムジャケットの有名なイメージらしい。)