第5回京都映画祭 「未来への提言 -京都からのデジタル発信- 」

【第1部 13:00-14:00】
 13:00-13:05 シンポジウム開会挨拶
 13:05-14:10 『男たちの大和/YAMATO』特撮映像と解説
         コメンテーター:佛田洋氏(特撮監督 VFXスーパーバイザー) 
                  米田武朗氏(東映京都撮影所エディター)
【第2部 14:20-17:00】
 14:20-14:35 <報告1>映画撮影におけるフィルムとデジタル技術の融合
          コメンテーター:木村大作氏(撮影監督)
 14:35-14:50 <報告2>最先端技術に対応できるアナログ的発想の人材育成の試み
                〜早稲田の事例
         コメンテーター:安藤絋平氏早稲田大学大学院教授/
                  NPO法人映像産業振興機構理事)
 14:50-15:00 <報告3>デジタルコンテンツ事業に対する京都での取り組み
          コメンテーター:山下晃正氏(京都府商工部次長)
 15:00-15:50 <ディスカッション>
          パネリスト:原田徹氏(映画監督) 佛田洋氏 木村大作
                 安藤絋平氏 山下晃正氏
 司会:冨田美香氏(立命館大学文学部助教授)
 16:00-17:00 『海軍爆撃隊』 復元フィルム上映

 東映京都撮影所試写室で開催されたシンポジウムに出席した。東映京都撮影所の正門(こんなところにあったのか!)を入ってすぐの管理棟(?)3階に試写室は実在した。会場に到着するまでに、林組(その他「大奥」の部屋多数)、黒沢組(黒沢直輔か?)、長谷川組、降旗組(新作「憑神(つきがみ)」が31日クランクイン!未発表?)といったスタッフルームや編集室、製作部といった各部署が入ったいかにも年季の入った狭い建物だ。大地震が起これば倒壊間違いなしというこじんまりとした旧い建物で、昭和の味がある建物だった。
 最初にあった挨拶は奈村協撮影所長。「狂った野獣」の企画、五社英雄の作品のプロデューサーとして名前だけはよく知っているあの人だ。木村大作を”爆弾男”と紹介していたのには爆笑。やはり撮影所そのものにとっても特別な(特殊な?)人物なのだ。
 「男たちの大和」のVFXメイキングをMacを操作しながら説明したのは、東映京都撮影所の編集技師の米田武朗。お馴染みのサーファー(だよね?)特撮監督、見た目は金髪の強面だが、案外話し振りと人当たりは柔らかい佛田洋は、もっぱらフォローに回り、比較的若手の編集技師に花を持たせた感じだった。おそらくDVDのメイキングにも収録されているのだろうが、実際のプロセスを、動画素材を駆使して編集、合成プロセスを説明されると、改めて凄い試みだったことが納得できる。特に、大和の航跡や蹴立てる波頭へのこだわりが今回の特撮演出のテーマだったらしく、自衛隊の艦船に実際の魚雷回避のS字航行を行ってもらい、合成素材を撮影したというのだから凄い。さらに、米国に保存されている当時の記録フィルムから戦闘機が着水する水しぶきだけを切り出して、デジタル合成の素材に使用したり、予想以上に手の込んだ、様々な試行が行われている。ケイ砂を使ったミニチュア撮影も含めると、今回の作品のテーマは、水の表現であったことがわかってくる。
 全体に佛田洋の発言は少なめだったのだが、ディスカッションの最後で、CGチームはすぐにあとミリ動かせばいいの?とか、あと何目盛り暗くすればいいの?とかいう聞き方をしてくるが、監督はイメージを伝えることで要求を出すもので、そこから先の何ミリとか何目盛りを考えて表現に形を与えるのはスタッフの役割であり、そこに創造の余地があることを認識すべきと言外に語った姿が印象的だった。山田洋次は「武士の一分」に登場するCGの蛍が演技をしていないとしつこく駄目出しをしているらしい、という話題を受けての発言だが、実に興味深い。要は、安藤紘平がいかにも教育者らしい表現のしかたで語って、木村大作が俺にの言いたかったのはそういうことだよ!と感激した、劇映画に写る被写体はすべてが芝居をしていなければならないというテーゼに帰着することなのだが、やはり映画の表現は本編にせよ特撮にせよそこから出発しなければモノにならないということらしい。因みに、佛田洋は「大奥」にはタッチしておらず、このシンポのためだけに京都に来たらしい。その後、中島貞夫監督に連れられていずこかへ消えたと思われる。
 今回のお楽しみ、木村大作の登場は、皆様のご期待通りに「男たちの大和」をこき下ろし、原田徹と佛田洋が苦笑するところから絶好調で、来週クランクインする「憑神」のキャメラテストの合間を縫っての参加とのこと。意外なことに、「極道の妻たち 危険な賭け」以来10年ぶりの東映京都での仕事らしい。(「おもちゃ」は東京で撮ったのか?)それも3つの条件(近江八幡にオープンの橋をかける等)を撮影所が呑んでくれたら受けると吹っかけて、全部実現させたとのこと。現在準備中の「憑神」では、ワープステーション江戸を使って安く上げてほしいという制作陣の思惑があったらしく、「火宅の人」のロケハンの際に、散々テレビドラマなどで使い古されたので制作部が止めようという候補地を、「俺に見せろよ」と実地検分し、引いた構図で撮って生かして使った経験を語り、せっかく京都撮影所の作品なのに、京都で撮ろうとしないのはどういうことだと憤慨していたのが印象的で、東映京都撮影所の青息吐息ぶりもうかがえる興味深い話だった。さらに、近年では日本映画の撮影現場ではスタッフ全員でのラッシュ試写という段取りが無くなり、メインスタッフだけでビデオで確認して判断している風潮に異を唱え、昔ながらのスタッフ全体でのラッシュ確認を行って、下っ端のスタッフにも創意工夫を促し、人材育成を図る撮影所システムを「憑神」では復活させると熱弁を振るうのだった。「赤い月」で演技中に瞬きを抑えられない常盤貴子のアップを数ショットデジタル処理で補正し、瞬きを消したというエピソードを披露した。そもそも、この人は東宝の出身でありながら特撮班の画には空気感が無いと嫌い、特撮も自分で撮ると明言して、実際画合成やミニチュア撮影まで行っている人なのだが、さすがに近年はすっかり頑迷なおじいさん風にフィルム撮影にこだわっている。それでも、「憑神」ではフィルム撮影後にDI(デジタル・インターメディエイト)を行うそうで、決して避けては通れないデジタル技術というものが日本にも根付いているのだ。
 ディスカッションの最後には京都にポストプロダクション施設が必要か(驚くべきことに無いのだ)というテーマが出されたが、佛田洋が、デジタル化やネットワーク技術の進展で離れた場所でもスタッフ間の調整はできるようになったが、それでも最後は監督や特撮監督が同じ場所で膝詰めでギリギリの決定をしなければいいものはできないと発言したのは、日本の映画制作の最先端の現状を踏まえた貴重な意見だった。「男たちの大和」でも、昔の矢島信男の時代のように、特撮班が京都撮影所で撮るという計画も当初はあったのだそうだ。撮影所長まで吊るし上げ、安藤紘平からは「木村大作大先生」と呼ばわれる木村大作に「大作さんも・・・」と呼びかける佛田洋は、控えめながらさりげなく貫禄を示して、さすが社長((株)特撮研究所代表取締役社長)だと感心した。
 京都府商工部次長の山下晃正は、京都で誕生した企業は専門性を深く掘り下げて追求することで、グローバルな展開に結びついて発展していった、と語り起し、任天堂などもその例だが、今日京都はゲーム産業のメッカであり、一方で日本のハリウッドと呼ばれる映画制作の専門組織がありながら、産業としては好対照を成している不思議について問題提起され、映画産業にゲーム制作のノウハウを持ち込めないかと画策している話とか、京都近辺の都市で新しい時代劇のロケ地を開拓できる余地がまだあるといった、行政側からのアプローチが示唆され、興味深いものだった。実際、東映時代劇のアクション映画のノウハウと特撮研究所の映像技術があれば、世界に通用するアクション時代劇は決して不可能ではないと思うのだが、なぜか「赤影 RED SHADOW」(特撮研究所はノータッチ!念のため)なんて映画になってしまうのが、謎だ。
 閉鎖の噂まであった東映京都撮影所は社運を賭けた「男たちの大和」が当たって首の皮一枚繋がったわけで、「大奥」「太閤記」「逃亡者おりん」「おみやさん」「憑神」など、予定表を見るとそれなりに作品数はあるようだが、映画が2本というのはやはり淋しいものだ。週明けの30日には「太閤記」のスタッフが城炎上のミニチュアワーク、ブルーバック、グリーンバックでの素材撮影を1日で撮りきる予定表が貼り出されていた。京都では本編班で特撮も撮るのが伝統なのだ。
 さて、単純にミーハー気分で撮影所にお邪魔して、生木村大作と狭い階段ですれ違い、生中島貞夫となにやらお話中の生佛田洋(後姿でも判別可能)に話しかけ、という貴重な体験ができたのは、素直に嬉しいことだった。ゲストと参加者が直接触れ合えるというのは、こうした小さな会場で行うイベントの醍醐味なので、セキュリティとか肖像権といった問題はあるものの、映画祭では今後もこうしたスタイルを踏襲してほしいものだ。