「円谷一 ウルトラQと”テレビ映画”の時代」

 白石雅彦がついに特撮関係者の本格的は評伝を発表しましたね。いつかやってくれると思ってましたが、なかなか立派な本に仕上がってます。特撮関係のライターとしては、現在もっとも信頼できる書き手なので、この調子で、今後も特撮映画秘史を解き明かしてほしいものです。
 スタジオドラマとテレビ映画の発達史の部分も興味深いのですが、やはりもっとも気になるのは、第1期ウルトラシリーズ終焉後の円谷プロ逼塞期の内幕の部分。63年4月にプロ設立、64年3月にはさっそく東宝の資本が入り、事実上東宝の傘下に入るわけですが、そもそも設立当初に東宝資本が入っていないことのほうが意外なほどで、さらに経営が悪化した68年12月には60%が東宝資本となり、有川貞昌が取締役に加わることになります。その後1年ほど有川貞昌円谷プロ社員としてデスクワークを担当することになるのですね。これも意外でしたが、円谷一が幼い頃から親しかった有川を呼んだらしい。この時期、東宝特撮に有川の名前が見えないのは、そういう理由だったわけですね。
 その後、円谷英二の弔辞を誰が読むかで感情的に揉めて、一時は一と不和になっていたという部分も非常にリアルで感銘を受けました。晩年の有川が感情的なしこりすらもさらけ出してインタビューに応えている様に感動します。実際、このときには既に東宝を辞めているようで、70年には東宝で”特技監督”ではなく、”特殊技術”として「決戦!南海の大怪獣」を撮り、国際放映に移籍するという経緯を辿るようです。(この際、中野昭慶を監督昇進させるという東宝に、富岡素敬を上げてやれと推したとの有川の証言があります。)
 この時期の円谷プロ東宝特殊技術課の激動期は研究対象として非常に興味深いのですが、円谷英二の特撮を受け継いだのは東宝ではなく円谷プロとはっきりと明言している円谷一は、円谷プロ東宝映像を吸収しようとする野心があったのではないかと思われます。しかし、その後、東宝との提携関係は消え(多分、第2期怪獣ブームで負債が消えた時点で独立を回復したのでしょう)、創立10周年記念映画「怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス」に東宝撮影所を貸してもらえないほど、両者の関係は一気に冷え込みます。なにしろ、金城哲夫ゴジラ映画のプロット(例の「ゴジラ・レッドム−ン・エラブス・ハ−フン 怪獣番外地」)を作成させるほどですから、円谷プロ東宝映像を呑み込む気配を牽制する動きが東宝側にあったに違いないと思うのですが、このあたりの両者の動向については、白石さん是非掘り下げて赤裸々に書いておくべきですよ!!



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