「黒澤明VS.ハリウッド」

 知らぬ間に発売されていた本書は、黒澤明の「トラ・トラ・トラ!」解任事件の顛末を、アメリカで新たに発見された20世紀フォックスの社内資料やすべての出発点となった日本側での準備稿、そしてアメリカ側のプロデューサーであったエルモ・ウィリアムスの証言などをもとに推測していくというドキュメント。

 前半の、企画の立ち上げ、準備稿の執筆のあたりや新発見の準備稿を読み込んでいくあたりは興味深いし、そもそも黒澤明が構想していた真珠湾映画の真意がよく理解できる書きぶりになっている。

 後半部分は、黒澤の診断書の分析の箇所が興味深く、東映京都撮影所での奇行事件は、ストレスから来る不眠が持病の癲癇の気を呼び覚ましたものだろうとする推測はかなり説得力がある。この部分については、これまでのこの事件に関するモヤモヤを晴らすことができたのではないかと思う。癲癇という病気に対する当時の社会的偏見に対する配慮が事件の一部を隠していたようだ。

 しかし、これも新発見の契約書の分析による、編集権、クレジット順などの解明は、ハリウッドの常識に属する一般的な内容で、そんなことよりも、日本側プロデューサーであった青柳哲郎の並外れた怪しさをもっと具体的に追求して、真相を究明してくれないと困る。ここで明らかにされないと、この事件の真相はやっぱり藪の中に隠れてしまうのではないか。キネマ旬報に連載された白井佳夫のルポ(「黒澤明集成Ⅲ」に所収)を読んでも、青柳なる人物が事件の中心人物であることに間違いはないだろう。

 そもそも、大作のプロデュースの経験も無い青柳なる人物に、日本映画の常識を超える超大作、しかもハリウッド資本の大作の舵取りなど、常識的に考えてできる訳がないのは、素人目にも明らかだと思うが、この点に関しては20世紀フォックス側の落ち度も大きいはずだ。本書では20世紀フォックスの協力を得ているので、あまりストレートには言及されて無いが、フォックス側には明らかにリサーチ不足の責任がある。黒澤は嫌がったはずだが(東映京都撮影所を使用することにしたのも、経費節減ではなく、黒澤が東宝を嫌悪していたためらしい)、素直に東宝経由で黒澤プロに発注するのが、当時の日本映画事情下での常識というものだろう。最初からそうしていれば、黒澤明監督による「虎 虎 虎」は一応の完成を見ていた可能性はある。ただ、素人俳優の起用というちょっと常軌を逸した奇策の問題もあるし、最終的な編集権を巡っては深刻な対立の要素を孕んでいるから、やはり揉めはしただろうが。

 気になるのは、黒澤が特撮的な要素まで自身で演出する気でいたらしいことで、特撮に関して、黒澤あるいは黒澤プロが円谷英二に相談していた「ふしがある」との記述がある。また、円谷が「虎 虎 虎」の準備稿を読んで「息もつかせぬ素晴らしい脚本だ」と述べたとの記述もあるが、これは事実なのか?黒澤が円谷に特撮の相談をした事実は、常識的には無いと思われるが、では黒澤は特撮的な場面に成算があったのかという根本的な疑問がわきあがる。本来こうした部分は、プロデューサーが差配すべきだが、肝心要のそのポジションが青柳なる無経験な若造に握られていた状況では、やはり具体的な計画ができていなかったのではと疑われる。大阪中ノ島にこの映画のためだけに特設されたフロント・プロジェクション装置を使用した合成カットの撮影など、いったい黒澤自身どう考えていたのか。

 この事件に関しては、おそらく金銭的に不透明な部分に黒澤の妻の関与まで仄めかされており、まだまだ多くの謎が残されている。本書は、まだその一部を解明しているに過ぎない。

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