『ぼんち』

基本情報

ぼんち
1960/CS
(2003/9/25 BS2録画)
原作/山崎豊子
脚本/和田夏十市川崑
撮影/宮川一夫 照明/岡本健一
美術/西岡善信 音楽/芥川也寸志
監督/市川崑

感想(旧HPより転載)

 第二次大戦前の船場の足袋屋の長男(市川雷蔵)は、祖母(毛利菊枝)と母親(山田五十鈴)が家内を仕切る息苦しい家に養子として婿入りして肺病で亡くなった父親(船越英二)の遺言に励まされ”気根性のあるぼんち”として生きるべく放蕩を続けるが・・・

 市川雷蔵市川崑も脂の乗り切った時期の文芸大作なのだが、改めて見直してみても、脚本の狙いがはっきりしない。この時期の市川崑の映画にしては不思議と中途半端な仕上がりの印象が強い。その昔京都文化博物館で観た時には、半分うとうとしながら観ていたせいでぼんやりとした記憶しかないのかと思っていたが、今回見直しても、同じ印象なのだった。

 中村玉緒草笛光子若尾文子越路吹雪京マチ子というそうそうたる女優陣を相手に回して飄々と立ち回る雷蔵の演技は見ものであり、ところどころに雷蔵ならではの匂いたつような色気が宮川一夫の美的なキャメラの中に感じられるカットが含まれているのだが、ラストで主人公にもっとも長く仕えた女中が口にする「船場に生まれなかったら立派なぼんちになっていたはずなのに」という趣旨の台詞が納得いかないのが齟齬感の原因だろう。

 ぼんちたる資質を持って生まれた主人公が、船場の古い因習が支配する女系家族の中でスポイルされ、巡り合わせた時代の悪さも相まって、自分自身の生き方をまっとうできなかった悲喜劇にしては、雷蔵はあくまで飄々と余裕を楽しんでいる風に見えるし、そもそも主人公の求めるものが何なのかということに意を尽くしていない脚本のように見えるのだ。

 そのために、市川崑の美意識と技巧が渋く冴えてはいるものの、軽妙な風俗劇の域にとどまったように思えてならない。

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