シリーズ22作目『新座頭市 破れ!唐人剣』

基本情報

座頭市 破れ!唐人剣
1970/CS
(2002/9/1 京都文化博物館
脚本/安田公義,山田隆之
撮影/牧浦地志 照明/美間 博
美術/西岡善信 音楽/冨田 勲
監督/安田公義

感想

 南部藩の行列に斬り込み、あまつさえその場に居合わせた農民たちまでも虐殺して逃走したという濡れ衣を着せられて追われる中国人の剣客(ジミー・ウォング)は知り合った座頭市と旅を共にするが、隠れ家を襲われ、匿ってくれた農民(花沢徳衛)が惨殺されたことから、座頭市が訴人したものと誤解したまま、昔の修行仲間(南原宏治)を頼って寺にたどり着くが、またしても藩の卑怯な追及が及んだことから座頭市との確執が深まり、遂に両雄の対決の時を迎える。

 香港から当時のカンフースター王羽(ジミー・ウォング)を招いて、勝プロが制作し、ダイニチ映配が配給を担当した座頭市シリーズ第22作だが、香港版では座頭市が敗れるバージョンが存在するらしく、複雑な権利関係の問題から国内では未だビデオ化もされていない異色作だが、さすがに京都文化博物館もプリントは所蔵していないらしく、珍しいことに真っ赤に褪色した一般上映用プリントでの上映となった。これは京都文化博物館では極めて異例のことではないかと思う。

 懐かしのてんぷくトリオの3人が座頭市に絡む場面など長廻しでアドリブを愉しませる趣向が嬉しいし、南原宏治の罰当たりな破戒僧ぶりもはまり役なのだが、冒頭の座頭市と聾のヤクザとの駆け引きから始まってお互いに相手の言葉を解しない座頭市と王羽の誤解から命のやり取りに発展する物語は、コミュニケーションの不在というテーマをはっきりと打ち出しているという点で、シリーズでは随一の異色作であり、力作となっている。

 「ことばさえ通じていれば、闘わずに済んだものを」とお互いにそうとも知らずに呟きあいながら結末するこの苦々しくも索漠たるラストシーンは高度経済成長の到達点である万博の年、1970年の政治的状況を色濃く反映しているように見える。

 座頭市のゲリラ戦の様式的に完成しきった映像表現に比べて、王羽のカンフーの見せ方はむしろ東映的なカット割りにならざるをえず、二人が斬り結ぶクライマックスの殺陣としての完成度はあまり高くはない。

 しかし、実はこの異色作の脚本を書いたのが安田公義だというのが、一番の驚きなのだが、ひょっとすると第一稿はクレジットに現れていない誰か他の脚本家によるものではないのだろうか?

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