『新諸国物語 笛吹童子 三部作』

笛吹童子 第一部・どくろの旗/第二部・妖術の斗争/第三部・満月城の凱歌
1954/ST
(2002/7/20 京都文化博物館
原作/北村寿夫 脚本/小川 正
撮影/三木滋人 照明/福田晃市
美術/鈴木孝俊 音楽/福田蘭童
監督/萩原 遼

感想(旧HPより転載)

 その昔、子供向け映画がまさに子供だましだったことを確認することができる作品で、3本通算して140分程度の中に、まるで歌舞伎の時代物のようにやたらと複雑な人物設定が投げ出されるかと思うと、一方で肝心の主人公たちの動静に全く無頓着だったり、思う存分行き当たりばったりの脚本のスカスカ感が心地よい脱力を促すから、くそ暑い京都の夕涼みにはもってこいの好企画。

 赤垣玄幡(月形龍之介)率いる野武士の集団に満月城を奪い取られ自害した城主の息子萩丸(東千代之助)と菊丸(中村錦之助)が明国から日本に帰り、城に斬り込んだ萩丸は虜囚になり、菊丸は闘いの虚しさを知り武士を捨てる。一方、家臣の娘(田代百合子)とどくろ党を裏切って満月城一派についた斑鳩隼人が火炙り寸前に現れた妖術使いの霧の小次郎に救われるまでが第一部。

 第二部では妹を探す霧の小次郎がせっかく見つけだした胡蝶尼(高千穂ひづる)に嫌われたのに逆上して谷に突き落とすまで。

 第三部では脱出した萩丸に加勢する一派に糾合した主要登場人物たちが満月城に攻め入って、これを奪還するまでを描く。

 第一部のラストに妖術で登場する龍が影絵だったり、第二部の大江山の白骨の谷に巣くう巨大な怪物が本物のムカデだったり、当時の子供向け映画の特撮レベルがうかがい知れるのも貴重といえよう。何しろ「ゴジラ」はこの年に誕生したのだから、いかに技術的に画期的な映画であったかが納得できる。玄界灘の嵐のシーンで、激しく荒れ狂う大波の様子を船のセットの背後で波の書き割りを上下させる舞台風の仕掛けで描いたのは逆に斬新だったが、モノクロならではの手法といえるだろう。

 しかし、この三部作でもっともおもしろいのは第一部でどくろの仮面をかぶせられた萩丸は全く登場せず、菊丸もほんの通りすがりに姿を見せる程度で、もっぱら霧の小次郎(大友柳太朗)が主演した第二部の破天荒さで、大友の豪快なキャラクターも楽しいが、幼い頃に別れ別れになって、今や黒髪山の妖術使いの婆(なんと千石規子だ!)の弟子になって山に住む妖怪達を統べるもののけ姫と化した妹胡蝶尼(高千穂ひづる)の可憐さといったら、ちょっと良い言葉がみつからない程で、東、中村、高千穂の一種のアイドル映画としても機能していたことがよくわかる。

 山家暮らしのなかでも振り袖を着た奔放なお姫様で、からかさおばけやのっぺらぼう、その他あやかしの者どもたちと楽しげに輪になって唄い踊るシーンの溌剌とした美しさ、”出てこい、出てこい,上がってこい”と腰まである豊かな黒髪を振りながら可愛い妖術をかける身のこなしの可憐さが女優の素地を透けて見させて、お姫様女優としてはなかなか発揮することのできない少女らしい色香を紛々と振りまいて、意外な好演を見せる。ただ、実は将軍の娘と判って、だんだんしおらしくなる第三部の演技になると、どうもありきたりの役回りで冴えなくなるのだが。

 それにしても東千代之助はアイドルにも関わらずどくろの仮面など着けられて面目丸つぶれ状態だし、中村錦之助も笛を吹くばかりでこれといった活躍もなく、異形の脇役達ばかりが自由闊達にはね回るというまとまりを欠いた映画で、この半世紀の間に日本の子供向け番組がいかに激しく進歩し、一般向け映画のレベルがいかに低落したかということに思いを至らせてくれる。 

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