『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』

ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃
2001/シネマスコープ
(2001/12/16 京都宝塚劇場)

脚本/長谷川圭一,横谷昌宏,金子修介 撮影/岸本正広 照明/粟木原毅 美術/清水 剛 音楽/大谷 幸 ビジュアルエフェクト/松本 肇 特殊技術/神谷 誠 監督/金子修介

感想(旧HPより転載)

 冷静に考えれば、太平洋戦争での戦死者たちの残留思念の集合体としてのゴジラというテーマと怪獣バトルロワイアルの陽性のスペクタクルが両立するはずがなく、少なくとも当初のアンギラス、バラン、バラゴンの護国三聖獣がゴジラの脅威から「国体」、ではなく「くに」を護るという構想からモスラキングギドラ東宝スター怪獣路線に路線変更がなされた時点で理念的にはどっちつかずの中途半端な内容になってしまうことは避けられなかったのだろう。

 そのことを誰よりも認識していたのは監督の金子修介であったはずで、そのために一本調子ともいえる狂騒的なハイテンションな見せ場を繋いでいくことで、そうした根本的な破綻を粉と糊塗しようと試みた形跡がある。これまでの金子修介のバランス感覚から考えると、こうした勢いで押し切る作風はいかにも唐突に感じられる。

 もっとも、そうした強引な戦略も少なくとも前半の大湧谷での対バラゴン戦まではかなり高度なレベルで奏功しており、神谷誠のダイナミックな怪獣アクションに松本肇指揮下のデジタルエフェクトが融合し、息つく間もない高密度な特撮カットが続出する。焼津港に上陸して清水市を蹂躙するあたりがデジタル合成の精度の高さは買えるもののミニチュアワークの見せ場が全くないのが惜しまれるが、バラゴンの登場からゴジラとの死闘に至る中盤の見せ場は確実にゴジラ映画史上に残る名シーンといえるだろう。

 序盤のトンネル内に出現するバラゴンのカットや、その後を受けてトンネル崩落現場に防衛軍が投入する新兵器大鵬の活躍を描くシーンも短いながら意欲的で優れた点描なのだが、対バラゴン戦は密度、ボリューム共に満点で、ミニチュアワークを基本としながら多くの観光客が怪獣の死闘に巻き込まれて死傷してゆく合成カットがなんといっても秀逸で、いささか画面を揺らし過ぎるのは最近の特撮映画の悪い癖だとは思うが、怪獣同志の決闘をこれほどまでの臨場感をもって描き出したのは画期的だ。端的に言って、このシーン以降の後半部分は脚本的にも杜撰だし、特にキングギドラの設定、演出を中心としてあまりにも無理無体が過ぎて到底誉められたものではなく、蛇足というほかないのだが。

 モスラキングギドラの担ったクライマックスとバラゴンが意外な健闘を見せた前半との違いは怪獣に対する感情移入が正確に誘導されているかどうかの違いであり、大湧谷のシーンでも取材ヘリのクルーを使って強引にバラゴンに対する肩入れを煽っていく作劇は粗っぽいとはいうものの、なかなか効果的でバラゴンという怪獣に対する我々世代のような特別な思い入れがない観客にもしっかりとアピールする演出になっている点はさすがは長谷川圭一金子修介だけあって抜かりがない。

 ところが、後半は富士の樹海から復活したキングギドラが洒落にならないほど不細工で、先にゴジラに蹂躙されたモスラのエネルギーを受け取って飛行能力を備えたあとも往年の優雅な操演怪獣の面影は皆無で、まだしも「ゴジラVSキングギドラ」「モスラ3」の時の飛び姿の方が頼もしいというものだ。

 一方のモスラはデザインも一新され、造形的には川北紘一鈴木健二によって演出されたモスラよりも明らかに完成度が高いうえに、羽ばたきの問題をCGIによって克服したあたりの技術的裏付けも顕著な進化を見せて、決して悪くはないのだが、要はモスラという怪獣の健気さを描き込む余裕がなかったために、その存在感の希薄さは犯罪的ともいえるほどだ。

 さらに、護国聖獣たちの無念を晴らすために特殊潜水艇ゴジラを倒そうとする防衛軍の作戦も前作「ゴジラ×メガギラス」での奇想天外な大風呂敷に比べるとあまりにもスケールダウンが著しく、どう見ても尻窄みに見えてしまうのはアイディア不足といわれても仕方ないだろう。
 おまけに、ラストバトルを夜の海底に設定したのは勘違いも甚だしいといわざるを得ない。怪獣映画を成功させようと思えば、嘘でも良いから日本晴れの真っ昼間に闘わせる以外の選択は今のところ無いということが何故諒解されないのか理解に苦しむ。ナイトシーンで決着を付けようと思うなら、「ガメラ対バルゴン」「ガメラ対ギャオス」あたりの離れ業を見習う必要があるだろう。

 ということで、映画としてトータルに評価すれば結局のところアクション映画としてきちんと成立していた前作「ゴジラ×メガギラス」には及ばないのだが、ゴジラとの遭遇によって精神が壊れていく篠原ともえのシーンやゴジラに蹂躙される清水市に立ち上るキノコ雲を小学校の教室から遠望するシーンなどのディテールに背筋を逆撫でするような不気味なリアリティを醸し出しており、白眼で異様に腹の突き出た異形のゴジラが、蘇った水死体をイメージさせることと無関係ではないはずだ。ゴジラを殺せないのは既に死んでいるゾンビであるからだというのが、金子修介の到達した結論であれば、それはそれで評価の意義もあるのだろうが、ゴジラそのものの姿同様に歪なこの映画だけでは、そこまでの覚悟を読みとるのは困難だ。

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