八百万石に挑む男 ★★★★

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基本情報

八百万石に挑む男
1961/スコープサイズ
(2001/9/29 祇園会館)
脚本/橋本 忍
撮影/三木滋人 照明/田中憲
美術/桂長四郎 音楽/渡辺宙明
監督/中川信夫

感想

徳川吉宗落胤を名乗る天一坊(中村賀津雄)が偽物と知った浪人伊賀之亮(市川右太衛門)は徳川政権に対する反逆のために天一坊を押し立てて江戸にのぼる決心を固める。大阪、京都で偽物に箔を付けた天一坊を江戸で待っていたのは切れ者松平伊豆守(山村聰)と大岡越前河原崎長十郎)の詮議であった。伊賀之亮の機転で辛うじて窮地を脱すが、幕府は真偽を問わず一党を召し取るべく府内に非常線を張る。だが、天一坊は寺の子坊主であった頃の友人(河原崎長一郎)から、紛れもなく将軍家御落胤である事実を知らされる。偽物を担いで幕府に反抗することに意義を見出していた伊賀之亮は既に自害を決意していたが、天一坊はひとり吉宗との対面に出向いてゆく。だが、真実の御落胤であったとしても、だとすればなおのこと、彼に生き延びる道は残されてはいないのだった。

■全盛期の橋本忍が講談で有名な徳川天一坊事件を彼らしい皮肉な視点から物語って、徳川家の一極支配体制に対する反逆の夢と、親の顔を知らぬ子供の父恋い物語を綯い交ぜにした傑作脚本を得て、新東宝倒産後に東映京都で撮影した中川信夫の正統派時代劇の代表作といえる作品に仕上がっている。主演が市川右太右衛門という点で損をしているのだが、橋本忍の脚本による「切腹」「上意討ち」といった時代劇の佳作に匹敵する完成度を実はちゃんと備えているのだ。

■さすがに1961年の時点で市川右太右衛門のあまりに大時代な時代劇演技は所々で滑稽でもあり、中川信夫の演出も彼を持て余してか何故か舞台劇のような平板な見せ場を設けたりしているのだが、橋本忍の筆の冴えは、そんな瑕疵を補って余りある文句無しの面白さを誇示している。

■松平伊豆守を演じる山村聰は完璧な配役だが、天一坊達の企みを見事に見抜いて見せる大岡越前河原崎長十郎というのは、ちょっと辛い。疲弊したブルドッグといった容貌がむしろ暗愚の印象を強く与えてしまうのだ。

天一坊モノとしては既に伊藤大輔の傑作「素浪人罷り通る」があるのだが、天一坊が偽物と知って伊賀之亮が俄然乗り気になるという展開がいかにも橋本忍らしい着想であり、さらにそうした反体制運動の夢とその挫折を不用意に煽ったり、悲憤慷慨したりは決してしない中川信夫の演出姿勢が、ある意味で青春映画にもなったであろうこの映画を不可思議な因果物語でもあるかのような色彩に染め上げている。

■そのことは長廻しの固定カットを基調とした演出スタイルになって現れており、渡辺宙明の御詠歌のような楽曲とも相まって、幕藩体制を揺るがす反逆の夢よりも、ひとりの若者の哀しい生い立ちのもたらした運命の皮肉とでもいったものをより色濃く映し出している。ただ、脚本の意図としてはむしろ伊賀之亮のほうに重点があり、天一坊の心理描写についてはあまり掘り下げられてはいないので、若干矛盾が生じているようにも見受けられるのだが。

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