シリーズ14作目『座頭市海を渡る』

座頭市海を渡る(1966)
脚本・新藤兼人
撮影・武田千吉郎 照明・山下礼二郎
美術・西岡善信 音楽・斉藤一
監督・池広一夫

感想(旧HPより転載)

 お馴染みの座頭市シリーズの第14作。

 四国に渡った座頭市が図らずも斬ってしまった男の妹(安田道代)の頼みで、村の百姓達を支配しようと企む乱暴な馬喰(山形勲)たちから村を守ろうとするが、老獪な村長(三島雅夫)の指導のもと村人達は一切力を貸そうとはしないのだった。

 冒頭の船倉シーンにゲストとして田中邦衛が顔を出し、村の若者として先日亡くなった東野孝彦が出演して、一人で座頭市に荷担しようとしてあっさり殺されてしまう。東野孝彦が実相寺昭雄の「哥」で勝新の物真似的な扮装をしていたのは、この映画での出逢いが影響しているのかもしれない。

 新藤兼人の脚本は暴力には荷担せずヤクザたちの自滅をじっと息を潜めて傍観する村民達の姿に皮肉な視点を導入して安定シリーズにスパイスを利かせるが、映画自体の出来としては水準作といったところ。野蛮な山形勲の暴れっぷりや三島雅夫の人なつっこい表情の奥に潜む狡猾さの表現はなんといっても見物だが。

 しかし、池広一夫らしいクライマックスのゲリラ戦法は今観ても斬新で、西部劇乃至マカロニウエスタンを模した舞台設定も秀逸で、華麗な殺陣ではなく、息詰まる消耗戦を必死で戦い抜く座頭市の姿にはやはり密かな感動さえおぼえる。こうした理詰めのアクションシーンを演出させたら池広一夫の右にでる者はいない。

 また、巻頭の船倉シーンや村の娘の家等をステージに再現したシーンが無闇に奥深い艶を放っているのは、名手山下礼二郎の照明効果の賜物だろう。「ひとり狼」「牡丹灯籠」等で、あの大映京都の中でも独自の境地を打ち立てた山下礼二郎タッチが炸裂し、豊かな陰影の中に輪郭をくっきりと立体的に浮かび上がらせるシャープな配光が絶品。クライマックスでの武田千吉郎のダイナミックなキャメラワークともどもプログラムピクチャーとしては贅沢の極みだ。
(2000/12/25 スコープサイズ V)

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