血だらけの惨劇

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血だらけの惨劇

基本情報

(STRAIT JACKET)
1963/スタンダードサイズ
(99/8/12 輸入V)

感想(旧ブログより転載)

 浮気した夫を愛人もろとも斧で惨殺した女(ジョーン・クロフォード)が20年ぶりに精神病院を退院し娘(ダイアン・ベイカー)の元へ帰ってくるが、幻聴や幻覚に苛まれ、またしても精神のバランスを崩してゆく。そしてついに彼女を訪ねた精神科医が姿を消し、その裏に殺人の気配を嗅ぎ取った下男も首を切られて殺される。事件現場に現れた女の影は20年前の狂気の惨劇を繰り返しているのだろうか?

 ギミック王、ウィリアム・キャッスルの本邦劇場公開作3本のうちの1本で、「地獄へつづく部屋」同様に、いやそれ以上に、この映像作家がギミックだけのハッタリ屋ではなかったことを証明するサイコ・サスペンスの秀作。

 なんといってもロバート・ブロックの脚本にソツがなく、このジャンルの映画としてはお手本ともいうべき緊密な構成と、異常心理学的(そんなたいそうなものではないか)なトリックの組み合わせが絶妙。さらに今回は「母もの」映画のメロドラマで一本筋を通して、残酷極まりない悪趣味なグランギニョルの世界を情感豊かにまとめ上げるという離れ業を披露してくれる。まあ、無理矢理という気がしないでもないが。

 サイコサスペンスの名手ではあるが、異常に泥臭く、悪趣味な趣向が多いのがロバート・ブロックの作風で、今回も例外ではない。どう考えても異常なほど残酷かつグロテスクな筋立てなのだが、ジョーン・クロフォードというキャスティングを得てメロドラマ仕立てにする構想が成功の鍵となったようだ。

 人目の少ないうらぶれた農園という舞台設定が実に効果的で、死体は解体して家畜の餌になるから事件が発覚しにくく、警察が介入する間もなく惨劇をたたみかけることができるわけだ。

 さらにウィリアム・キャッスルのショック演出が冴え渡り、冒頭の惨殺シーンの斧を振り上げる女の影の使い方、下男の首が飛ぶのをストレートに見せたあと餌に群がる豚のカットに繋ぐ無惨極まりない省略話法など他の追随を許さない到達度を示している。高橋洋&北川篤也の「蹂躙・インフェルノ」が目指した世界がここに実在しているのだ。

 また、ジョーン・クロフォードが娘と再会するシーンや、娘の許嫁の母親から詰問されて精神病院に幽閉されていたことを激白してしまうメロドラマのクライマックスにしても、まあハリウッドの良くできたメロドラマと比べるのは酷だとしても案外良くできているのだ。

 それにしてもウィリアム・キャッスルが貴重なのは、そうしたグロテスクな要素を詰め込みながらも、恐怖が常に諧謔と渾然一体となって独自のケレン味を形作っているところで、そうした作風故にアメリカでもいまだに生き残っているのだろう。

 考えてみるとそうした視点からホラー映画を構築することができる才能を今日のアメリカ映画に見いだすことができるだろうか?ホラーとメロドラマの融合、恐怖演出をケレンにまで様式化するその作風は、ひょっとするとデ・パルマあたりが有望株なのかもしれない。ヒッチコックを真似て顰蹙を買い続けるデ・パルマが本来目指すべきはウィリアム・キャッスルなのではないだろうか?(おお、我ながら鋭い!)

 ちなみに、コロンビア・トライスタービデオから発売されているこのビデオ、何故か画質は完璧な美しさで、低予算ながら光と影の饗宴を堪能することができるので、超お薦め。

 しかし、全編に渡ってキチガイを連発するこの映画、日本でのテレビ放映は今後望み薄だ。

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