感想(旧ブログより転載)
「日本一短い母への手紙」でもコンビを組んだ伊藤亮二と澤井信一郎の協同脚本だが、ちっとも良いと思わない。
同じ吉永小百合でも「霧の子午線」の那須真知子の脚本のほうがよほど瑞々しかった。あれはラストのフィンランド(だったか?)で岩下志麻が化け物じみた雄叫びをあげて全てをぶちこわしてしまったのだが、吉永小百合自体については、この映画よりもよほど魅力的だったはずだ。
原作は知らないが、映画を観る限り物語自体があまりに古典的すぎ、よほどの工夫を凝らさなければ今更バカバカしくて観ていられないといった種類のものなのだが、端的に言って、工夫が足りない。時代を昭和が平成に変わる頃に設定して、昭和と共に恋が終わりを迎えるという趣向を盛ったのは良かったが、例えば「秋津温泉」で主人公たちの恋の行方に戦後の日本人の変遷を二重写しにして見せた極め付きの離れ業には遠く及ばず、中途半端な思いつきに終わっている。
せっかくの渡哲也を起用しながら、恋に身を委ねる姿よりも「誘拐」で無骨に働いているほうが、よほど渋く、燻し銀の年輪を感じさせるのは、致し方ない。そういえば、大河原孝夫も悪くはないが、「誘拐」の監督には澤井信一郎なんて適任ではなかったのだろうか。会社が違うとはいえ、撮影所の助監督出身者としては、資格十分であったろう。
閑話休題。
それにしても、渡哲也の心筋梗塞の発作をしつこく何度も見せる演出姿勢には澤井信一郎の最近の低落ぶりを象徴しているように思えて、正直哀しい。無意味なスペインロケは、きっと木村大作が行きたがったのだろう。最近の木村大作担当作品に、海外ロケは付き物だから。
吉永の鎌倉の居宅のセットなんて、日本映画の精髄を部分的に匂わせはするし、木村大作のキャメラも案外渋い色調で統一している点は悪くないが、京都ロケの絵はがきじみた構図は陳腐というものであろう。
ちなみに、深作欣二の期待作「おもちゃ」の撮影も木村大作だが、予告編を観る限りこのキャメラは近年希にみるひどさだ。封切りの時に、これはちょっと話題になるのではないかと今から楽しみにしている。(悪い意味で!)