ふるえて眠れ

基本情報

ふるえて眠れ(’64)
(HUSH,HUSH,SWEET CHARLOTTE)

感想(旧HPより転載)

 「何がジェーンに起こったか?」に続くベティ・デイビス主演、ロバート・オルドリッチ監督によるどぎつい心理スリラーで、アヴァンタイトルで若きベティ・デイビスの恋人ジョン(ブルース・ダーン)が鉈で手首と首をはねられて惨殺されてしまう辺りの直接的な表現から、さすがにエロスとバイオレンスに彩られた時代背景をひしひしと感じさせる。

 事件から三十数年後、犯人と噂されるべティ・デイビスはその惨劇の舞台なった屋敷に老メイドと二人きりで世間の眼を避けながら暮らしているのだが、屋敷の立ち退き問題を委ねるため唯一の親戚であるミリアム(オリビアデ・ハビランド)を屋敷に招いた時から、惨劇の幻影に悩まされ始める。ある時はジョンの歌う子守歌が誰もいない音楽室から聞こえ、ある時は花束を持ったジョンの手首が床に転がり、またある時はジョンの生首が階段を転がり落ちる。

 もはや、物語のトリックは言うまでもないと思うが、そのショック演出のストレートさはなかなか痛快で、おそらく硬骨の人・オルドリッチですらW・キャッスルあたりを相当意識せざるをえない状況があったことを窺わせる。また恐怖のグロテスクな側面をベティ・デイビスの老醜を露にした顔面演技に求める手法は「悪魔のいけにえ」を先取りしたものともいえるだろう。(ほんまかいな)

 しかし、そうした過剰なグロテスク趣味を辛うじて制御する事ができたのは、こうした物語の定石ともいえる陰影の深いモノクロ撮影の秀逸さによるものだろう。ジョセフ・バイロックのキャメラは心理スリラーの定石ともいえる、しかし今日ではお目にかかることのできない、光と影のコントラストの巧妙なを操作をみせ、シーンによってハイコントラストとロケーションによるドキュメンタリーとも見える画調を柔軟に使い分ける。いかに闇が深くても必要な人物の顔には決して影がかからず、そうした場合は必ず胸元に影を配置するという古典的かつ人工的な照明テクニックは、こうした種類の映画の場合、絶大な効果をもたらす。

 しかし、こうした心理スリラーとしてのありきたりのトリックや演出手法にオルドリッチの関心が向かっていたのではなかったことが、ラストで明らかになるとき、深い感動が呼び覚まされる。まさに、それこそがオルドリッチのトリックだったのだ。

 老醜のベティ・デイビスが全ての真相を手にして、長年我が身を呪縛してきた屋敷に訣別を告げる時、見違えるばかりの知的で上品な老婦人に生まれ変わる。オルドリッチの目指したものは、彼女が自分の顔を取り戻す物語だったのだ。

 血塗れのドレスでパーティーに現れる巻頭のシーンからライティングによって彼女の顔が隠蔽されていたことも、ジョセフ・コットンを撃ち殺す幻覚シーンのパーティー会場のシーンで招待客達の顔が白い仮面で隠されていたのも、そしていやというほどのグロテスクさを押しつけてくるベティ・デイビスの錯乱の演技も、すべてはそうしたテーマに向けて組織されたものだったのだ。

 そして、筋を通す男、硬骨漢オルドリッチのことだから、おそらくは「何がジェーンに起こったか?」で刻印されたベティ・デイビスの怪奇女優としてのレッテルに終止符を打ち、日常の側へと彼女を連れ戻すことを企図していたのにちがいない。これは、オルドリッチから彼女へ宛てた、映画で描かれたラブレターだったのだ。
 (98/5/16 ノーカット・テレビサイズトリミング版)

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